わずか50時間での決定。満額を出した広州富力
「大打撃」。川崎フロンターレのMF、森谷賢太郎が今回の一件をこう一言で表した。
その“一件”とは言うまでもなく背番号10を背負い、J屈指の爆発的なドリブルと得点力で川崎が志向する攻撃サッカーを牽引してきたレナトの電撃移籍についてである。つい最近、7月16日の木曜日に中国における移籍ウィンドーが閉まったのだが、レナトの元に広州富力からオファーが届いたのはなんと13日月曜日の昼。
その当日と翌日の火曜日にクラブ間での交渉が設けられ、レナト本人が中国でのプレーを望み、水曜日の午前に中国へ渡ったというのが事の顛末だ。オファーから中国入りまでわずか3日間、時間でいうと50時間ほど。庄子春男強化部長も「ばたばただった」と振り返るほどの移籍劇。
予兆や噂も全くなかったことを考えれば、サポーターが受けた衝撃の大きさは想像に難くない。そして、そのショックと同時に“なぜ中心選手を簡単に放出したのか”という憤りに近い疑問も生まれているかもしれない。その気持も大いにわかる。 だが、今回ばかりは防ぐのが難しかった。
「“移籍できない”というある程度の額をおいたのだが、出してきた。違約金を満額出してきたのは今までで初めて」(庄子強化本部長)。金額面でのハードルを広州側は難なくクリアし、そうなれば、あとは本人の意思次第。だが、川崎の倍に近い高待遇の条件を提示されたレナトの決断は“中国行き”であった。
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