まだ整理がつかないコンサドーレへの思い
サポーターの重みを浦項の選手たちに説いた岡山に、Jクラブから待望のオファーがやってくる。しかし岡山はそのチャンスに応じようとはしなかった。
条件提示は納得のいくものだったが、アジアチャンピオンとFIFAクラブワールドカップ3位を達成した岡山には、それ以上に血をたぎらせる何かが必要だったのだ。
自分は本当にサッカーがしたいのか。もう一度自分自身とサッカーとを見つめなおそうと考えたとき、浮かんできたのはスペインでサッカーをやりたいということだった。
行き先は3部に昇格するかしないかという下部カテゴリーのクラブ、イジェスカス。だが労働ビザが下りず、練習参加にとどまり、試合では応援する立場にあった。岡山の胸に去来したのは、応援される側になりたいという思いだった。
そのときだった。「おやじ」と呼ぶ石崎信弘が「盛り上げに来い」と言ってくれたのは。石崎が監督を務めるコンサドーレ札幌は当時J2であり、そしてJ1に昇格するには程遠い中位にいた。それでも昇格を諦めていないという。12位、13位から昇格を狙う札幌の心意気が、世界3位と同等以上と感じられる生きがいの火を、岡山の胸に灯したのだ。
――条件はスペインに行く前にあったオファーよりよくなかったんですよね?
岡山 ぼくは思い込む力が強いんです。その力をもってしても、唯一叶えられなかった夢が日本代表でした。でも、ほんとうによくないのは、夢が叶えられないことではなく、夢が見えないこと。代表入りにかわる目標がコンサドーレのJ1昇格だったんです。持てる全部を注いで昇格できなかったらユニフォームを脱ぐと言って契約したんですけれども、昇格できるという自信はありました。
――しかしJ1昇格の天国から一転、2012年は地獄を見ましたね。チームはJ2降格。岡山さんはコンサドーレ札幌との契約が満了したあと、次の所属が決まっていない(※2013年3月時点)。いま、どういう心境なんですか。
岡山 コンサドーレでJ1に昇格させてもらって、去年、最速でJ2に落ちた。その総括はまだできていないですね。だからまだ自分のブログに書くこともできない。あれだけ天国と地獄を味わったチームについて消化できていない部分があるんです。
去年、ぼくはつらかったです。自分の力のなさ。コンサドーレに契約してもらった意味がなかった。それまで所属していたクラブでは、自分なりに持っているものを注いで何かを残せたのに、コンサドーレでは契約してもらったことに対して何もできなかった。
コンサドーレで自分のキャパはそれ以上無理や――と思いました。降格争いの渦中で、残留を信じるサポーターの思いを受け止めるだけの、人間的な器がなかった。
以前は器があるなんて思ってなかったんですよ。底なしやし、なんでも受け止められると思っていた。でも、あの降格争いのときは、息苦しいという感覚でした。もういっぱいです、という感覚に初めてなった。サポーターのみんなにそれ以上言われてもおれにはできない。降格せぇへんぞ、と最後まで100%戦えたかと言われたらそんなことはなくて、どこかで諦めちゃった自分がいることに失望しました。残り試合全勝して残れるんやったら、その可能性にかけよう、と言える自分だと思っていたら、そうじゃなかったんです。