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日本人として韓国代表で戦う理由

2013年7月、韓国代表初の韓国代表フィジカルコーチに就任した池田誠剛。ロンドン五輪では韓国五輪代表に帯同し、3位決定戦で日本代表と対戦した。彼がピッチ上で抱いた感情、その場で見てきたものとは何だったのか。池田誠剛の言葉とともに、関係者の証言をあわせて迫っていく。

text by 編集部 photo by Norio Rokukawa

ロンドン五輪の日韓戦で胸に去来したもの

六川則夫/Norio Rokukawa
日本人初の韓国代表フィジカルコーチになった池田誠剛(左)【写真:六川則夫】

 背番号2をつける呉宰碩がスローインした瞬間、カーディフのミレニアムスタジアムにタイムアップの笛が鳴り響く。

 朴主永と具滋哲による2ゴールで、韓国がロンドン五輪銅メダルを獲得した瞬間だった。

 チームを指揮する監督の洪明甫がピッチ上で選手たちや韓国人スタッフと喜び合う傍らで、日本五輪代表のDF鈴木大輔が芝生に深々を座り込んで足元を見つめる。大津祐樹や齋藤学らもそれぞれ、呆然と動けずにいた。

 勝者と敗者のコントラストはあまりにも鮮明だった。

 この瞬間を目の当たりにして、日本人として初めての韓国代表フィジカルコーチを務めた池田誠剛は、生まれてから一度も味わったことのない複雑な思いに襲われ、戸惑った。

「試合が終わった直後、喜んでいる明甫さんたちを見て、僕自身も勝利の達成感は湧きました。でも、幼い頃から知っている学がガックリとうなだれる姿に、全く別の複雑な感情が入り込んできたんです。自分でもどう処理していいのか分からなくて……」

 池田はその場にたたずんでいられず、すぐさまロッカールームへと向かった。その胸中を察した洪明甫も、選手たちによる胴上げを終えると、あとを追うように日本人フィジカルコーチのところへ引き上げてきた。が、二言、三言を交わした以外、池田は何も覚えていないという。

 彼らが想像しなかった出来事がピッチ上で起きたのは、そんな頃だった。

「独島は我が領土」

 韓国サッカー界史上初の五輪3位に貢献し、ボランチとして献身的な仕事ぶりを見せた朴鐘佑の掲げた1枚の国旗の描かれた大型の用紙(メッセージ)……。『彼がサポーターからこのメッセージが渡される様子』はカメラマンによって確実に捉えられ、写真を通して広く世界に知られることになった。

 この行為は「いかなる政治的、宗教的、人権的な宣伝活動は認めない」という五輪憲章に抵触していた。彼は喜びのあまり我を忘れ、順守すべきルールを犯してしまった。

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