「ユナイテッドの歴史は攻撃サッカー」
サー・アレックス・ファーガソン率いるマンチェスター・ユナイテッドの選手であることの一部、そしておそらくユナイテッドの攻撃の選手の一人であることの最も重要な部分は、ボールを持っている時には得点チャンスを生み出すためにリスクを冒さなければならないということだ。そうすることは一つの選択肢ではなく、義務であった。
私の現役時代には、ボールを前へパスすることを止めたり、相手守備陣をこじ開けられるようなリスキーなパスを出すことを止めた時には、その結果はいつも同じだった。監督は私をメンバーに選ばなくなる。チームに戻ることができるのは、再び監督の望むプレーができるようになった時だ。
ユナイテッドの歴史は攻撃サッカーによって築かれてきた。それは必ずしも相手を無失点に抑えることには繋がらないし、チャンスを与えないとも限らない。ユナイテッドに世界最高のGKたちがいる時期が長かったのはなぜだろうか? 前線に人数をかけるために、そういうGKを必要としていたからだ。
このようなことを言いたいわけではないのだが、私は今のルイス・ファン・ハールのチームを見てさほど楽しめてはいない。水曜の夜にはバーンリーを下したが、前半に良い戦いを見せていたのは圧倒的にバーンリーの方だった。ユナイテッドのサッカーは本当に酷いものに見えることもある。相手チームを倒すためには攻めなければならないし、攻めるためにはリスクを冒さなければならない。現在のチームには、そういうリスクを冒そうという姿勢がある選手が少な過ぎる。
ユナイテッドでプレーするMFとして、私はボールを前へパスしなければならなかった。もちろん、いつも成功するわけではなかった。ストライカーたちのために、必ずしも完璧なお膳立てを済ませてやろうとしていたわけではない。ボールをうまく受けてゴールを決めるのは彼ら次第だった。決して簡単なことではないが、私たちはユナイテッドでプレーしていたのだ。簡単なことであるはずはなかった。