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現在Jリーグ各クラブは補強を進めている。これまで、ライバルクラブ間での移籍が「禁断」と称され、大きな波紋を呼ぶことがあった。クラブの象徴的選手が宿敵へ移籍すれば、サポーターの怒りや悲しみは計り知れないだろう。果たして今冬の移籍市場でも新たなドラマは生まれるのだろうか。今回は、Jリーグ史に残る「禁断の移籍」を振り返る。
※スタッツはデータサイト『Transfermarkt』を参照。情報は2025年1月17日時点。
FW/MF:齋藤学(さいとう・まなぶ)
生年月日:1990年4月4日(34歳)
移籍:横浜F・マリノス→川崎フロンターレ(2018年)
横浜F・マリノスから川崎フロンターレに完全移籍を果たしたFW齋藤学は、少なくないバッシングを浴びることになった。両チームのファン・サポーターのみならず、Jリーグ全体に衝撃を与えたこの出来事は「禁断の移籍」として有名だ。
事の発端は、齋藤がプロキャリアをスタートさせた時まで遡る。マリノスの下部組織で育った齋藤は、2009年に同クラブのトップチームに昇格。愛媛FCへの期限付き移籍から戻った2012シーズンよりレギュラーの座を獲得し、主力として活躍し続けた。
翌2013シーズンには天皇杯優勝に貢献。日本代表にも招集され、着実にスター選手への道のりを歩んでいた齋藤は、2017シーズンからキャプテンに就任し、背番号10を着用することになった。この背番号は前年までクラブのレジェンド、中村俊輔が身につけていたものであり、サポーターの期待は最高潮に達していた。
禁断の移籍が発生したのは、この2017シーズン終了直後である。齋藤が川崎Fに移籍することが発表された。
エースかつキャプテンである主力選手が、フリー(移籍金無し)でライバルクラブに移るということで、マリノスサポーターの怒りは頂点に。齋藤の決断は大批判を受けることになった。
その後、不退転の覚悟で加入した川崎Fでは怪我もあって期待以上の活躍はできず。齋藤は名古屋グランパス、水原三星ブルーウィングス(韓国)、ニューカッスル・ジェッツ(オーストラリア)、そしてベガルタ仙台を経て、現在はアスルクラロ沼津でプレーしている。