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若くして才能を評価された選手でも、長くキャリアを続けられるとは限らない。ケガやプレッシャーなど、様々な理由でプロとしてのキャリアを早期に終えた選手もいる。今回は、20代でスパイクを脱いだ才能ある日本人選手たちをピックアップして紹介する。成績は『transfermarkt』を参照。
FW:矢野隼人
【写真:Getty Images】
生年月日:1980年10月29日
主な在籍クラブ:ヴェルディ川崎(東京ヴェルディ)、ヴァンフォーレ甲府
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矢野隼人は、帝京高等学校のエースとして活躍したストライカーで、その得点力とフィジカル、そして短く刈り込んだ頭から「和製ロナウド」と呼ばれた選手だった。
1998年度の全国高等学校サッカー選手権大会では、10番を背負う1年後輩の田中達也らとともにチームをけん引し、同校を準優勝に導いている。
高校3年生だった1999年にヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)に日本サッカー協会強化指定選手(現特別指定選手)として加入した矢野は、すぐにJリーグデビューを果たし、2000年の正式加入時には9番の背番号を託されるなど、将来を嘱望されたが出場機会に恵まれず、2001年までの2シーズンで公式戦の出場は7試合となった。
その後、2002シーズンはヴァンフォーレ甲府への期限付き移籍で再起を図るも、ここでも公式戦1試合出場に終わり、このシーズンを最後に現役引退を決断した。2007年には当時JFLだったFC刈谷で現役復帰を果たしたが、2008シーズンを持って退団した。
当時の日本代表は、得点力不足が常に課題とされていた。その中で登場した「和製ロナウド」は、日本サッカー界の大きな期待を背負っていたが、結局プロとして1得点も記録することなくキャリアを終えることとなった。
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