小学生時代は『動けるデブ!?』
――西川選手は大分県宇佐市出身ですね。
「はい。のどかなところで、小さい頃は外に出てみんなでサッカーしたりするのがつねでした。家の近くの幼稚園に通っていたときもそうでした。
すごいキック力のある女の先生がいて、よく真似していました。ただ、当時はまだJリーグもなかったし、サッカー選手になりたいとは考えていませんでした。
幼稚園の頃の夢は警察官。みんなを守ってくれるヒーローだと思っていましたからね(笑)」
――ご兄弟は?
「6つ年上の姉がいます。ケンカもしましたけど、年が離れていたし、可愛がってもらったかな。両親も『自分の好きなことをやりなさい』という感じでした。
お父さんは三重にいた高校時代に野球をやっていて、僕にも野球をやらせたかったみたいです。よくキャッチボールをしたり、バッチィングセンターに連れてってくれたりしましたから。
僕がサッカーを選んだときは少しがっかりしたかもしれない。でも何も言いませんでしたね」
――少年団に入ったのは?
「四日市南小学校に通っていた3年のとき。全盛期だったカズさん(三浦知良=現横浜FC)に憧れていて、点取屋を目指していました。
だけど当時の自分はかなりふくよかな感じだった。言ってみれば『動けるデブ』ですね(苦笑)。
ホントによく食べていましたからね。牛乳もいっぱい飲むし。だからDFで使われることが多かったです」
――GKになったきっかけは?
「4年生のとき、指導してくれた是永(哲也)監督から『やってみろ』と言われたのが最初です。
ある日の練習試合にGKが欠席して、ちょうどデカかった自分が指名されたんです。最初は正直、嫌でしたね(苦笑)。
GKって飛ぶと痛いし、アザができるし、練習着もドロドロになってお母さんも洗濯が大変だし、やりたくなかった。『いつもFWに戻ろう』という気持ちでした。
でもやっていくうちにシュートを止めて感謝されたり、ヒーローになれたりすることが分かって、楽しくなってきた。『もしかして自分に合っているのかな』と思うようになりましたね」