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怪我さえなければ…。日本の「ガラスの天才」サッカー選手(2)膝が限界…。スパイクを脱ぐのが早すぎたレジェンド

シリーズ:ガラスの天才 text by 編集部 photo by Getty Images

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サッカー選手は常に怪我と隣り合わせだ。たった1つの怪我でキャリアを棒に振ってしまう選手もいれば、何度も大怪我を負いながらもその逆境を乗り越えて長く活躍する選手もいる。今回は最高級の才能を持ちながらも、怪我に苦しむキャリアを歩んだ“ガラスの天才”を紹介する。


DF:内田篤人

シャルケの内田篤人
【写真:Getty Images】

生年月日:1998年3月27日
日本代表成績:78試合2得点9アシスト

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 内田篤人は歴代の日本代表右サイドバックの中でも、いまだに最高峰と名高い選手であろう。持ち前のスピードと創造性によって右サイドで違いを生み出す存在だった。鹿島アントラーズと日本代表で確かな実績を築いていた内田は2010年夏にドイツの名門シャルケに移籍していきなり定位置を掴むと、チームのUEFAチャンピオンズリーグ(CL)ベスト4進出に貢献。CLベスト4のピッチに立った内田に対して大きな期待がかけられていた。

 だがその後、内田は怪我に苦しめられ、早期にスパイクを脱ぐ決断を強いられた。それは2014年2月のハノーファー戦での負傷に端を発する。右膝裏の腱を損傷していることが明らかになったが、ブラジルワールドカップ前ということで手術を回避し、大会のピッチに立った。しかし膝への負担が大きかったためか、同年7月に右膝蓋腱の炎症を引き起こし、2015年3月にも膝蓋腱を負傷してしまう。6月に手術を行うが、復帰までに約1年9ヶ月を要してしまった。

 長期の離脱によりコンディションの維持にも苦戦した内田はウニオン・ベルリンを経て鹿島に復帰するも、本調子を取り戻すことはできなかった。キャリア晩年は膝の問題のみならず筋肉系のトラブルにも悩まされ、32歳で怪我との戦いだった現役生活に幕をおろす決断をした。もし内田に怪我が無ければ、どのようなキャリアをたどっていただろうか。

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【了】

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