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ファイターズの赤字額は『46億円』
さて、藤井がセレッソを離れた04年は、球界に「プロ野球再編問題」の激震が走ったことで記憶されている。これと前後して、パ・リーグの各球団が、福岡移転で大成功を収めたダイエーホークス(現ソフトバンク)に倣い、相次いで地域密着に舵を切るようになった。
それまで東京ドームを本拠地としていたファイターズも、新天地を北海道に求め、04年に「北海道日本ハムファイターズ」として、新たなスタートを切ることになった。
「そうしたら『君、北海道に行ってくれ』ですよ(苦笑)。セレッソの社長を辞めたのが、その年の4月。言われたのは10月くらいだったと思います。翌年の1月1日付で、勝手がわからない北海道に赴任となりました」
サッカーから野球にフィールドが変わっても、「黒字転換と地域密着」という藤井のミッションは基本的に変わらない。ただし今回の職場は、セレッソ時代とは大きく異なるものであった。
04年当時の球団の赤字額は、何と46億円。昨シーズン、Jリーグで最も赤字だった横浜F・マリノスが5億8500万円だったというから、いかに規模が違うか容易に理解できよう。加えて、これまで「自転車で20分以内」だったホームタウンも、今度は広大な北海道全域である。それでも藤井には、揺るぎない信念があった。そのキーワードは「集客」である。
「当初は『SHINJO見たさ』もありましたし、ヒルマン監督などが札幌駅前で1日中サイン会をしたりしていた。そうした珍しさもあって、お客さんが来てくれたというのはあります。ただし、僕はその時から社員には『選手ではなく、チームでお客さんを呼べ』と言ってきました。スター選手は、いつか必ずいなくなる。かつてのヴェルディ川崎のようになってはいけないんです」