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サッカー選手は常に怪我と隣り合わせだ。1つの怪我でキャリアを棒に振ってしまう選手もいれば、何度も大怪我を負いながらもその逆境を乗り越えて長く活躍する選手もいる。今回は最高級の才能がありながらも、怪我に苦しむキャリアを歩んでしまった日本人選手を紹介する。
DF:内田篤人(うちだ・あつと)
生年月日:1988年3月27日
日本代表通算成績:78試合2得点9アシスト
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鹿島アントラーズ時代は決して怪我の多い選手ではなかったが、残念ながら怪我によりキャリアを終えることになってしまった。始まりは2014年2月9日、ハノーファー戦での負傷だろうか。珍しく自ら交代を申し出た内田篤人は翌日、医師に右太ももの肉離れと診断されたが、後に右ひざ裏の腱を損傷していることが明らかに。ただ、ブラジルワールドカップを控えていたこともあり、同選手は手術を回避している。
リハビリを終えた内田は無事ブラジルW杯に出場し、ピッチにも立った。しかし、ひざへの負担がやはり大きく、2014年7月に右膝蓋腱の炎症を引き起こしてしまう。さらに、その半年後に行われたホッフェンハイム戦で膝蓋腱を負傷し戦線離脱を強いられてしまった。そんな内田は2015年6月、とうとう手術を決断。膝蓋腱の怪我はとにかく症例が少ないため慎重に経過を見守る必要があり、内田は実戦復帰まで実に1年9ヶ月もの時間を費やすことになった。
その内田はウニオン・ベルリンを経て2018年に鹿島へ復帰を果たした。ただ、ピッチに立った際の存在感こそあったが、やはり膝の状態は悪く、ここでも負傷離脱を繰り返している。そして2020年の8月、32歳という若さでスパイクを脱ぐことを発表。日本サッカー史に残る名サイドバックの早すぎる引退に涙したサポーターは多かったはずだ。
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