中国で厳しい戦いを続ける岡田武史
中国で最も美しい湖とされる西湖は上海から南西150㎞に位置する杭州にある。この風光明媚な古都に今、先の南アフリカW杯で日本代表をベスト16に導いた岡田武史はいる。
厳しい戦いは続いている。
岡田が率いる杭州緑城は5月に一時5位まで浮上しながらも、3連敗もあって8月25日現在で16チーム中11位にとどまっている。 中国スーパーリーグには今夏も欧州から一流選手が流れているが、杭州緑城にとっては無縁の話。母体である大手ディベロッパー「緑城房地産集団」の苦しい経営事情もあって補強できず、逆にディフェンスリーダーの杜と威を他クラブに引き抜かれてしまった。
崖っぷちに立たされた指揮官。しかしながら追い込まれれば追い込まれるほど、いつも土壇場で力を発揮してきた。振り返ってみると危機を乗り越えた先に、悲願のW杯出場、Jリーグ2連覇、そしてW杯ベスト16進出があった。日本人監督として「初」となる偉業を次々と果たしてきた歴史がある。ゆえに今置かれている状況は岡田にとって、逆襲のターニングポイントなのかもしれない。
岡田の在り方は、日本人指導者の在り方という点で何かヒントになるものがあるのではないか――。足跡をたどりながら、彼ならではの「特性」を探っていきたい。
岡田武史を読み解くポイント 1.決断力
今さら説明の必要もないが、岡田は極めて稀なケースで監督業をスタートさせている。1997年10月、日本代表を率いてフランスW杯アジア最終予選を戦っていた加茂周監督が解任され、監督経験のない岡田がコーチからそのまま昇格となった。あと1敗もできないという想像を絶するプレッシャーにさらされ、指揮官としてデビューしたわけである。
デビュー戦のウズベキスタン戦では中田英寿を先発から外し、控えだった城彰二、森島寛晃を思い切って先発で起用。結局引き分けにとどまったが「変わらなきゃ勝てない」という意思をまずは選手に見せたのだった。
イランとの第3代表決定戦では最終予選に一度も出場させていない岡野雅行を勝負どころで投入して勝利をたぐり寄せた。「監督の仕事は決断すること」というポリシーは、この時代の修羅場をきっかけに得たものなのだろう。
南アフリカでの大きな決断も記憶に新しい。
一か八かの賭けだった。 壮行試合となった韓国戦に敗れ、岡田は細かくパスをつなぐスタイルを捨て、守備重視に切り替えた。阿部勇樹をアンカーに入れ、GKを楢﨑正剛から川島永嗣にチェンジ。中堅の長谷部誠にキャプテンマークを巻かせた。繰り返される決断。仕上げは本田圭佑の1トップ起用だった。