何が何でも勝て、という論調ではなかったが…
ブラジル代表の誕生から100年という歴史的な節目のW杯で喫したセレソン史上最悪の惨敗。64年前の自国開催で喫したマラカナッソ(マラカナンの悲劇)は文字通り、国家的な悲劇だったが、8日の準決勝で喫した1対7のスコアは「ミネイロンの恥辱」として永遠に語り継がれることになる。
衝撃的かつ屈辱的な大敗から一夜明けたブラジル各地のメディアの論調もまた、歴史に残る厳しいものだった。
エースのネイマールが負傷離脱した上に、主将のチアゴ・シウバも出場停止。攻守の主軸を欠いたまま、何が何でもドイツに勝てと求めるほどブラジルのメディアは無茶ではない。
「この状況でドイツに勝つのは難しい」「勝たなければ行けないという責任を背負うのはドイツ」と、ブラジルの置かれた状況の厳しさは戦前から認識していたブラジルメディアだけに、ただの敗戦ならばヒステリックな反応にはならなかったはずだ。
ところが無策な指揮官と、精神的な脆さを露呈した選手たちは1対7というあり得ないスコアでミネイロンスタジアムに葬り去られた。
サンパウロの高級紙のフォーリャ・デ・サンパウロは一面トップの見出しが「史上最悪の負けを喫したセレソン」。同じくエスタード・デ・サンパウロも「ホームでの屈辱」と歴史的敗北を大きく扱った。
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