総得点の56.5%に関与。ブラジルのネイマール依存症
優勝候補の最右翼と目されながら、未だに攻撃陣が本領を発揮し切れていないブラジル代表に衝撃が走った。
2対1でコロンビアを振り切り、2002年大会以来のベスト4進出を決めた喜びに浸る間もなく、チームに飛び込んできたのはネイマールの脊椎骨折によるチーム離脱。コロンビア戦直後にはチームドクターが残された2試合の欠場を明言するなど、ネイマールのW杯は無惨にピリオドを打たれる恰好になった。
「LUTA PELO HEXA SEM NEYMAR(ネイマール不在でエクサ(6度目)への闘い)」(エスタード・デ・サンパウロ紙)「JOGUEM POR ELE(彼のためにもプレーしろ)」(ランセ紙)という前向きな見出しが一面を飾った新聞もあれば、「SEM ELE DA?(彼なしで大丈夫?)」(フォーリャ・デ・サンパウロ紙)などと先行きを懸念する新聞も。
今大会でもチーム最多の4得点。押しも押されもしないエースは、スコラーリ体制でも欠かせない存在であることはその数字が物語る。スコラーリ監督が就任してからの全27試合に出場し、全69得点中ネイマールは18得点13アシスト。
さらに直接のアシストではないものの別の8点にも大きく関わっており、実に総得点の56.5%に関与してきたことになる。現在のセレソンがしばしば「ネイマール依存症」と言われる証左だ。
ただ、サッカー王国はネイマールの大会離脱が事実上決まった瞬間から、気持ちを切り替えている。ネイマール不在のセレソンが目指すモデルは1962年のチリ大会にある。
この大会で当時21歳のペレは大会2戦目のチェコスロバキア戦で太腿を痛めて、チームを離脱。もう一人の天才ガリンシャとともにペレ不在のチームを救ったのが22歳の新星、アマリウド氏だった。
思わぬ形で52年前のヒーローが脚光を浴びる恰好になったが「選手たちは自信を持つことだ。我々はペレなしでも1962年に優勝した」と後輩たちにエールを送る。