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TV出演→反逆者に…。強烈な批判に晒された“革命家“戦術思想とは?【ラルフ・ラングニックの章・前編】

text by カラン・テージワーニ photo by Getty Images

巨大エナジードリンクメーカーがなぜサッカー界に照準を合わせたのか、アンチも注目せざるを得ないその巧妙かつ革命的な戦略史を辿る『エクストリームフットボール』(12月20日発売)より、マンチェスター・ユナイテッドの監督に就任し注目を集めるラルフ・ラングニックについて書かれた1章「欧州を制圧するレッドブル帝国の野望」の「教授と呼ばれた男」を一部抜粋して前後編で公開する。今回は前編。(文:カラン・テージワーニ)

素晴らしい戦術は批判の対象に…しかし

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【写真:Getty Images】

 1998年の12月19日、ラルフ・ラングニックはドイツのTV番組に出演した。司会者と会話しながら、彼は磁石の戦術ボードで得意とする4バックのゾーンディフェンスを説明することを求められることになる。

 自信満々で彼は自らのシステムを説明し、どのようにそのシステムがチームを助けるかを語った。彼の精密な分析は素晴らしいものだったが、その戦術は強烈な批判に晒されることになってしまう。

 若干40歳の頃、2部リーグのウルム1846を率いていたラングニックがドイツの伝統的な戦術を批判したことは大きな話題となった。彼はドイツでは一般的だったスイーパーを否定したことで、ドイツで一般的だったスタイルに挑む反逆者になってしまったのだ。

 ラングニック自身ものちに番組への出演を後悔していたことを認めたが、自らの戦術思想に殉ずるという決意を強めるきっかけにもなった。彼は当時2部リーグの監督でしかなかったが、彼が選手時代から15年間を費やして磨いてきた知識とサッカー観はユニークなものだった。

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 ラングニックのキャリアにおいて彼の未来を決定した瞬間は3つある。一つが1980年にディナモ・キエフのサッカーを目撃したこと。残りの二つは多くの学びを得たヘルメート・グロースと出会ったことと、前述したTVへの出演である。

 シュトゥットガルトの北に位置するバックナングで生まれたラングニックは地元のシュトゥットガルトでサッカー選手としてのキャリアをスタートする。しかし、選手としてはアマチュアとしてプレーしており、プロになる夢は叶わなかった。そんな若者はイングランドのブライトンにあるサセックス大学で体育を学びながらサウスウィックでのプレーを続ける。

 イングランドでのデビュー戦では大怪我を負ってしまい、3本の肋骨を骨折、肺も損傷してしまったというエピソードが残っている。選手として大成することはなかったが、彼にとって選手としての経験は貴重だった。ウルム1846でコーチとしての経験を積むと、彼は少年時代に所属していたヴィクトリア・バックナングに選手兼コーチとして加入する。

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<書籍概要>
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衝撃的ともいえるそのスピードと徹底的なチームの献身性――。レッドブル・ザルツブルク、RBライプツィヒなどの背後に君臨するレッドブルグループは世界中のスポーツ界で勢力を伸ばしつつある。一方でピッチ外でも展開されるマーケティングによって利益を得ることに長けた彼らのアンチも少なくない。巨大エナジードリンクメーカーがなぜサッカー界に照準を合わせたのか、アンチも注目せざるを得ないその巧妙かつ革命的な戦略史を辿る。

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【了】

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