現代サッカーの語り部として酒井高徳ほど相応しい現役プレーヤーはそういない。12月6日発売の『フットボール批評issue34』より、欧州・SB と二つの共通点を持つ柴村直弥が、酒井高徳が考える現代サッカー、現代SB 像に迫った「現代サッカーを言語化する」を一部抜粋して前後編で公開する。今回は前編。(文:柴村直弥)
海外は『ボールを奪う』。日本は『守る』
【写真:Getty Images】
「違い」を素早く感じ、自分で改善していける酒井選手の自己分析能力、改善能力を含めた適応能力の高さが窺える。環境の変化が大きい海外で活躍するには大事な要素であろう。
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柴村「ボールを奪いに行くチャレンジをすることで、裏を取られるリスクも出てくる。でも、裏を取られないようにしているとボールを奪えない。もちろん試合の状況によってもその度合いは変わってくるけど、海外では日本よりもボールを奪いに行くチャレンジをする度合いが強いと思う。そして、ボールを奪いに行ったことで限定されたり、こぼれたボールを周りの選手が奪い切るみたいな感覚が海外ではより強くあったんだけど、そのあたりの感覚も違いを感じることがある?」
酒井「攻めている以外の時間の捉え方の違いもあるかと思います。海外は『ボールを奪う』ことが前提の守備になります。そうなると必然的に寄せにも行くし、プッシュアップもする。それが日本の場合は『守る』という感じなんですよね。もちろん相手にプレッシャーをかけには行くんですけど、『守る』守備だから外から見たら組織的で連動してきれいに『守って』いるようで、連動の強度みたいなものが繋がらなかったりするんですよ。
例えば、わかりやすく言えば、左SBがボールホルダーにプレッシャーをかけに行って、左CB、右CB、右SBが機械的に左にズレていっている中で、呆気なくCBのところへ相手のくさびのパスがきれいに入ってしまうことが起こるんです。その根本はどこにあるのかというと、柴村さんが言ったように、1人目がボールに行って、2人目、3人目がその次を狙うことでボールが奪えるというのが本来のプレッシングで、ボールを奪うことになると思うんですよね。
僕が1人目でプレッシャーをかけに行った時に、ここまで寄せてコースを限定しているから、ここのコースには2人目が……とパッと見たらついてきていないこともあります。プレッシャーの角度が違うこともありますし。簡単にターンされてしまう位置からプレッシャーに行ってしまったりとか。
僕が寄せて限定されたパスを相手に出させた時に、僕のイメージではガツンと行くんだろうなと振り返ると、簡単にキープされていたりということもありましたね。そうなると、僕もすぐにカバーのポジションまで戻していくことになります。サッカーは自分だけでやるものではないので、僕の考えが正しいというわけではまったくなくて、これは感覚の違いですね」
『フットボール批評issue34』
<書籍概要>
定価:1650円(本体1500円+税)
教養としての現代サッカー
時期を合わせるかの如く欧州帰りの選手から「日本と欧州のサッカーは別競技」なる発言が飛び出すようになった。立て続けの印象が強いのは欧州から日本に帰還する選手が増えた証拠であろう。彼らが言いたいのは、欧州のサッカーは善、日本のサッカーは悪ではなく、欧州のサッカーは現代、日本のサッカーは非現代というニュアンスに近いのではないだろうか。もちろん、「組織」などのレンジの広い構造面も含めて……。
好むと好まざるとにかかわらず、現代サッカーの教養を身に付けない限り、「別競技」から「一緒の競技」に再統合することは断じてない。幸いにも同業界には現代サッカーを言語化できる日本人は少ないながらも存在する。攻撃的か守備的か、ボール保持かボール非保持かのようなしみったれた議論には終止符を打ち、現代か非現代か、一緒の競技か別競技かのような雅量に富む議論をしようではないか。
【了】