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世界のトップに立つために――。ザックジャパンの軌跡。激動の4年間に込められた、選手・監督・協会、それぞれの信念

ザックジャパンの4年間は激動だった。アジアカップを制し、W杯出場を決めるもコンフェデでは惨敗。3-4-3への挑戦もあった。だが、チームとしての考えはブレなかった。守備的スタイルへの回帰は明確に拒否した。そこには選手・監督・協会が思いを一つにしたある信念があった。

text by 藤江直人 photo by Getty Images

本田圭佑との誓い。長友佑都の懺悔

世界のトップに立つために――。ザックジャパンの軌跡。激動の4年間に込められた、選手・監督・協会、それぞれの信念
FW本田圭佑が劇的なPKを決め、5大会連続5度目のW杯出場を決めた【写真:Getty Images】

 JリーグのFC東京からセリエAとBを行き来していたチェゼーナを経て、世界でも有数のビッグクラブであるインテル・ミラノへ移籍。いまではゲームキャプテンを託されるほどの確固たる居場所を築き上げたDF長友佑都には、胸の奥底に「悔恨の念」を秘めてきた。

 後半ロスタイムにFW本田圭佑が劇的なPKを決め、5大会連続5度目のW杯出場を決めたオーストラリア代表とのアジア最終予選から一夜明けた昨年6月6日。さいたま市内のホテルに設けられた取材エリアで、長友は「いまだから言えますけど」と前置きした上で、意を決したように記憶の封印を解いている。

「W杯の開幕前からベスト4という目標を掲げていたじゃないですか。もちろん僕の中でもベスト4に進みたい気持ちは強かったんですけれども、グループリーグを突破した時に僕の中で安心感というか、達成感が出てきてしまった。そんなメンタル状態で決勝トーナメントを戦えるわけがないし、自分のパフォーマンスを100%出せるはずもないんです」

 2010年6月29日。W杯南アフリカ大会でグループEを2位で突破した日本代表は、決勝トーナメント1回戦でパラグアイ代表と対戦した。ともに堅守からの速攻を狙うスタイルでグループリーグを勝ち抜いた両国の激突は、お互いに決定機を作れないまま淡々を時間だけを刻んでいく。

 延長線を含めた120分間をともに無得点で終え、もつれ込んだPK戦を5対3でパラグアイが制した。PKをバーに当てて失敗したDF駒野友一をはじめ、日本代表のメンバーのほとんどが涙に暮れる中で、長友は同じ1986年生まれの本田と誓いを立てている。

「これからはオレたちが日本代表を引っ張っていこう」

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