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名波浩が回想する98年W杯。初出場への重圧と歓喜の狭間。「下手くそで弱かったけど色は好きでした」

“ドーハの悲劇”を受けて戦った日本代表はすさまじい重圧の中、初のW杯出場を勝ち取る。しかし、初めて世界の舞台に立った1998年W杯は3戦全敗と、世界との差を痛感するものだった。(『フットボールサミット第21回 遠藤保仁、W杯を語る』より)

text by 原田大輔 photo by Kenzaburo Matsuoka , Getty Images

井原が告げたカズ、北澤の落選

――現地に入ってからは、三浦知良選手、北澤豪さん、それと市川大祐選手がメンバーから外れましたが、選ばれたメンバーとしてはどういう心境でしたか?

名波浩が回想する98年W杯。初出場への重圧と歓喜の狭間。「下手くそで弱かったけど色は好きでした」
名波浩【写真:松岡健三郎】

「メンバー発表される前日、オレの部屋にいつものメンバーというか、仲間が集まっていたんですね。平野(孝)、服部(年宏)、岡野(雅行)、モリシ(森島寛晃)、あと、(中西)永輔くらいですかね。

 普段はTVゲームをしたり、ビデオを見たりしているんですけど、誰かがA4くらいの紙を出してきて、誰となく、誰がメンバーから落ちるか、紙に書いてみようっていう話になった。

 当時は22人登録だったから、まずはスタメン候補を書いてから、残りの11人を書いていった。その部屋にいるメンバーでは、オレ以外はスタメンに入りそうな選手はいなくて、じゃあ、『誰が外れるんだ?』ってなった時、みんな『オレだよ、オレ』『いや、オレだって』って話してたんですよね。オレはベッドに横になりながら、『お前らきっと大丈夫だよ』って人ごとっぽく話してたんですよ。

 で、翌日、朝飯がフリーだったので、ランチになって集合したら、井原(正巳)さんがオレらのテーブルのところに来て、『キーちゃん(北澤)とカズさん(三浦)が落ちたから』って言われた。

 その後、『イチ(市川)も落ちたけど、イチは帯同したいということで、そのままチームに残ることになったから』って言われて。オレはいつもモリシとか5、6人でテーブルを囲んでメシを食べてたんですけど、みんな無言で食事していたのを覚えている。

 その時、岡田さんが何か言うのかなって思ってたら、何も言わなくて、練習前に『カズとキーちゃんは自分たちの意志で午前中の間にホテルを出て行った。くれぐれもみんなには頑張れって言ってた』というようなことを聞かされた」

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