1年の延期を経て、東京五輪(東京オリンピック)が開幕した。新型コロナウイルスや酷暑など様々な問題がある中で競技が行われている。ある五輪選手は「これがオリンピックだとは感じられない」と話し、一方では「いったい誰のための、何のための五輪なのか」という疑問を投げかける選手もいる。(文:ショーン・キャロル)
IOC会長の皮肉
蜃気楼のような、決して現実化しない幻影であるかのようにも感じられ始めていた東京五輪(東京オリンピック)が、いよいよ我々のもとにやって来た。
【今シーズンのJリーグはDAZNで!
いつでもどこでも簡単視聴。1ヶ月無料お試し実施中】
ついにオリンピックが開催され、アスリートたちが日本に集まり、スポーツの世界で最も強く望まれるタイトルのひとつを手にするため競い始めた。それでも、まだ何かが足りていない。
大会が開始されても、完全なものではないという空気がある。何かが正しくないという感覚だ。観客不在のままでは、五輪は本当に五輪であるとは感じられない。
「全員が連帯して共にあれば、我々はより速く進み、より高みを目指し、より強くなることができる」。7月23日に東京・国立競技場で行われた開会式でそうスピーチしたIOCのトーマス・バッハ会長は、その自らの言葉が、入場を認められた1000人程度の「オリンピックファミリー」とアスリートたちを除けば無人のスタジアムに響いていたという皮肉には気がついていないようだった。
「だからこそIOCは、オリンピックのモットーを我々の時代に合わせ、『より速く、より高く、より強く―一緒に』とすることを決めた。一緒にいるという感覚、それこそが暗いトンネルの出口の光だ」
多くのアスリートたちが、早くも素晴らしいパフォーマンスを披露してくれている。堀米雄斗がスケートボード男子ストリートの初代金メダルを日本にもたらし、競泳男子400m自由形ではチュニジアの18歳、アフマド・ハフナウィが勝利を飾り、阿部詩と阿部一二三はわずか1時間の間に兄妹で五輪チャンピオンとなった。それでも、メダリストと共にその勝利に歓喜するファンが会場にいなかったことには落胆を感じずにはいられない。
開会式の最中も同じ思いだった。