【後編はこちらから】 | 【フットボールサミット第6回】掲載
「チームのパトロンになるべきは、まさに彼だった」
――遠藤保仁について語って欲しいのですが?
「それは難しい。個人的に彼をよく知っているわけではないからな」
――もちろん語れる範囲で結構です。彼はあなたが率いた日本代表の中心選手でした。他にも選択肢があるなかで、あなたは遠藤を選びました。
「普通に考えて、彼が値したからだ。チームに必要な選手で、大きな影響力をチームに行使したのは他の誰でもなく遠藤だった。パトロン(主人=チームリーダーの意)になるべきは、まさに彼だった」
――しかし中村俊輔はすでに海外に出ていましたが、小野伸二や小笠原満男など国内組にもゲームメーカーはいました(註。日本代表監督就任当初のオシムは、「古い井戸もまだ汲みつくされていない」と語り、海外組は招集せずに国内に残る選手だけでチームを編成した)。
「小笠原、遠藤、ふたりの中村(俊輔と憲剛)……。同じようなタイプの良く似た選手たちが何人かいた。その中から最も戦闘能力が高く、冷静でチームに的確な指示を与えられる選手を選ぶ必要があった。
私は小笠原を個人的にはよく知らない。当時から彼は、アントラーズで素晴らしいプレーを続けていた。間違いなく日本最高の選手のひとりで、これだけ長い間活躍ができるのは、彼が優れたキャラクターを持っていることを示している。
常に最善の選択をするのは難しい。監督もしばしば間違えるし、観客やジャーナリストもそうだ。私の選択が正しかったかどうか、私は自分では判断できない。いずれにせよ私が選んだのは、遠藤とふたりの中村であり小笠原や小野ではなかった、ということだ」
――そうして「サッカーの日本化」を唱えるわけですが、あなたの目指すスタイル――パスを回しながらスピーディに人もボールも動いていく――を実践するのに、彼らが適していると考えたのでしょうか?
「たしかに私がチーム作りを始めたのもその考え方からで、実践に値するスタイルだと今も思っている。サイドには加地亮、駒野友一という、とてもスピーディな選手がいた。彼らは90分間スプリントし続けることができた。遠藤、俊輔、憲剛はアイディアに溢れ、テクニックも優れていた。彼らが中盤で一緒にプレーをすれば、連動性のあるスタイルが実現できるというのが私の考えだった。
サッカーで求められるすべての要件を満たし、それを人々に示せるチームを作りたかった。全体がアンサンブルとして動くことが出来るチーム。それぞれの選手が異なる役割を担い、ポリバレントに複数のポジションをこなせるチームだ」