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アルゼンチンの消えた逸材5人(5)。天国から地獄へ…怪我に泣き、大舞台の夢散る…

シリーズ:消えた逸材5人 text by 編集部 photo by Getty Images

若くして才能を披露して高く評価された選手が、そのままスター選手として活躍し続ける保証はない。怪我やプレッシャーに苦しみコンディションを落とす選手がいれば、ピッチ外での問題で活躍の場を失っていく選手も多い。今回は大きな期待を背負いながらも、大舞台から姿を消したアルゼンチン人選手を紹介する。

怪我に泣きW杯出場の夢が散ったアテネ五輪金メダリスト

ルシアーノ・フィゲロア
【写真:Getty Images】



FW:ルシアーノ・フィゲロア
現所属クラブ:なし


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 地元クラブのロサリオ・セントラル下部組織出身のルシアーノ・フィゲロアは2001年にプロキャリアをスタート。2003年の後期リーグで得点王に輝くと、プレミアリーグのバーミンガム・シティへ移籍となる。

 だが出場は1試合のみに終わり、メキシコのクルス・アスルへ移籍。ここで21得点を記録すると、アルゼンチンのA代表へ招集され始め、2004年1月27日にA代表デビューとなった。メキシコでの活躍が認められたフィゲロアは2004年にビジャレアルへ移籍。序盤は出場機会を得るも、徐々に出場機会が減り2006年に母国アルゼンチンのリーベル・プレートへレンタル移籍となる。

 2006年のドイツワールドカップメンバー入りへ向け出場機会を求めての移籍だったが、左膝の大怪我を負いワールドカップ出場の夢は途絶えた。その後、フィゲロアは2006年8月にイタリアのジェノアへ移籍。しかし、膝の怪我の影響で初年度は出場ゼロに終わった。

 その後はボカへの復帰、アルゼンチンのロサリオ・セントラルへの移籍などを経て、2011年にエクアドルのエメレクへ加入。2013年にはパナシナイコスでプレーし、2015年にマレーシアのジョホール・ダルル・タクジムで現役引退となった。その後、2017年から同クラブのアンバサダーを務め、同年11月に選手として現役復帰。2018年には同クラブの監督に就任した。フィゲロアは計8カ国でプレーした選手となっている。

【了】

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