単なる名将ではなく「特別」な監督だった理由
ヴェンゲルは、任務にあたるや否や、クラブ経営陣からも揺るぎない信頼を寄せられるようになり、内部での発言権を強めていった。マネージングディレクターを務めていたケン・フライアーは、「最初から、移籍金の高さが先行する選手の売買には興味がないと言っていました。必要であれば、獲得資金は用意すると伝えてはあったんですけど」と、当時を振り返っている。
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「アルセーヌが望んだ選手の獲得に動くことを却下したことなど一度もない。彼自身が、補強予算を賢く使いたがっていた。見上げた心構えだ」と言っていたのは、2013年まで在職したヒル=ウッド元会長だ。
海外の移籍市場にも目が利く指揮官は、費用対効果の高い戦力補強を繰り返した。イングランドでは知られていない外国人選手が呼び寄せられては、タイトルを争うチームの主力として活躍。そのたびにアーセナル経営陣は、単なる名将以上の「特別」な監督を得たという実感を強めていった。
当人の補強ポリシーは、いたってシンプルだ。
「高価な選手だからといって、移籍先での活躍が保証されているわけではないからね。ワールドクラスの選手とは、買い入れるのではなく、育て上げるものさ」
このポリシーの正しさを証明する補強成功例は、アーセナルでの就任を待たずに生まれていた。イングランドでは「ボックス・トゥ・ボックス」型と呼ばれる、攻守にダイナミックなパトリック・ヴィエラの獲得だ。ミランからの移籍は、1996年8月14日。ヴェンゲルが、当時のアーセナルがホームとしていたハイバリー・スタジアムの監督室で仕事を始める1カ月半前のことだ。アヤックス入り目前だったCHは、まだ体は日本にあった次期アーセナル監督からの電話を受けて、オランダではなくイングランドに新天地を求めた。
ヴェンゲルがもたらした移籍ビジネスの成功例
ミランでのヴィエラは、控え組の一員にすぎなかった。だがヴェンゲルには、フィジカルなプレミアリーグへの適応性も含めて、高い能力の持ち主であるという確信があった。
新監督が「パワーとクオリティを併せ持つ、パーフェクトな新戦力」と、獲得を勧めるフランス人選手の移籍金は250万ポンド(3億4千万円弱)。アーセナルのフロントが異論を唱えるはずもない。移籍から2年足らずで、クラブではプレミアリーグとFAカップの2冠達成、代表ではワールドカップ優勝の原動力となるのだから「大バーゲン」だ。
アーセナルでは、監督交代を機に移籍ビジネスの成功例が相次いだ。1997 年2月には、ニコラ・アネルカを僅か50万ポンド(約6750万円)で、パリ・サンジェルマンから手に入れている。
2年後にはレアル・マドリーに引き抜かれてしまうのだが、クラブは、20歳のストライカーと引き換えに、獲得費用の46倍に相当する移籍金を得た。同年の夏には、エマニュエル・プティがモナコから加入。ヴィエラとともに、クラブと代表の双方で栄冠に輝くMFは、中盤の相棒と移籍金の額も同じだった。
プティ獲得の2週間後には、マルク・オフェルマルスが、700万ポンド(約9億4500万円)でアヤックスから移籍。快速ドリブラーの加入により、チームの攻撃に強力なアクセントが加えられた。
(文:スティーヴ・スタマーズ)
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