アヤックスで黄金期。リーグ3連覇に世界一のタイトル
マンチェスター・ユナイテッドの新監督候補として最有力に挙っているルイ・ファン・ハール監督。アヤックスやバルセロナ、バイエルン・ミュンヘンの監督を歴任し、現在はオランダ代表監督を務めている同氏。どんな経歴を持っているのだろうか?
1951年8月8日の62歳で、オランダ最大の都市アムステイルダム出身。カトリック系の家族のもとに生まれたファン・ハールだったが、父親が重い心臓病を抱えており、彼が幼い頃に亡くなっている。
そして、母親の女手一つで育てられた環境がファン・ハールの規律を重んじる厳格な人格形成につながったという。さらに、1973年に結婚したフェルナンダさんとの間に二児をもうけるも、94年に膵臓がんによって最愛の妻を亡くしている。2008年には二番目の妻、ヒルダさんと再婚した。
現役時代のポジションはMF。アヤックスのユースに在籍したものの、トップチームでの出場は無く73年にベルギーのロイヤル・アントワープに移籍。77-78シーズンのテルスターを経てスパルタ・ロッテルダムに加入。78-79シーズンから85-86シーズンまでの8シーズンで通算248試合に出場し26得点を記録した。
その後、86-87シーズンのAZでのプレーを最後に現役引退。15年に及ぶ選手キャリアで、ファン・ハールはセミプロの選手だった。体育教師の免許を持つため、在籍した各地で高校の教師を兼業していたという。
現役引退後は、AZのアシスタントコーチに就任。88-89シーズンから90-91シーズンまでの3シーズンはアヤックスのアシスタントコーチを務める。その後、レオ・ベーンハッカー監督の後任としてアヤックスの監督に昇格。世界一流の監督としてのキャリアをスタートさせる。
91-92シーズンのUEFAカップ優勝を皮切りに、93-94シーズンからエールディビジ3連覇を果たすと94-95シーズンのチャンピオンズリーグで優勝。95年に国立競技場で行われたインターコンチネンタル・カップではPK戦の末にグレミオを敗ってクラブ世界一のタイトルを獲得した。