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スペイン代表の背番号10は呪われているのだろうか。他国では英雄的な番号であっても、この国で「10」のユニフォームをまとった選手たちはワールドカップの大舞台でさしたる存在感を残せていない。初優勝を果たした2010年南アフリカワールドカップでさえも。そんな悲しい運命を背負った男たちの系譜を振り返る。※所属クラブは大会前時点、年齢は初戦時点のもの。
日韓ワールドカップ
【写真:Getty Images】
背番号10:ディエゴ・トリスタン(デポルティボ・ラ・コルーニャ)
生年月日:1976年1月5日(当時26歳)
個人成績:2試合出場/0得点0アシスト
監督:ホセ・アントニオ・カマーチョ
戦績:ベスト8
「スーペル・デポル」と呼ばれ、黄金期真っ只中のデポルティボ・ラ・コルーニャで中心選手だったディエゴ・トリスタンは、2001年にスペイン代表デビューを飾った。そして2002年日韓ワールドカップで背番号10を託される。
欧州予選のグループを首位で通過し、本大会でも躍進が期待されていたスペイン代表はグループリーグ初戦、第2戦と連勝を飾った。その中でトリスタンも2戦連続の先発出場を果たす。しかし、パラグアイ代表との第2戦で負傷し、前半のみで交代。以降は復帰できないまま大会を終えた。
スペイン代表はベスト8まで勝ち進むも、準々決勝で韓国代表と対戦し、数々の疑惑の判定にも阻まれPK戦の末に敗退となった。トリスタンはこの大会後から度重なる負傷に苦しめられ、デポルティボでもロイ・マカーイとのポジション争いにも敗れてしまう。
日韓ワールドカップ直前の2001/02シーズンはリーグ戦で21得点を記録して得点王に輝き、公式戦通算で32得点を奪ったが、翌シーズンからは成績も徐々に下降線を描いていく。プロ選手としてのキャリアも下り坂を転げ落ちていき、スペイン代表での最後の試合はワールドカップから約1年後の2003年9月だった。