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長谷川悠はなぜ豪州へ? 「Jリーグで終わったら…」、不確実なアスリートのキャリアに活かされる決断【英国人の視点】

柏レイソルでプロキャリアをスタートさせた長谷川悠は、モンテディオ山形や大宮アルディージャなど7つのクラブを渡り歩き、今季からオーストラリアの地域リーグに活躍の場を移した。Jリーグ通算291試合出場の実績を持つ32歳のストライカーは、なぜ異国の下部リーグを選んだのか。世界中が新型コロナウイルスの感染拡大という不確実な情勢に見舞われる中、長谷川の選択はアスリートのキャリアに一つの示唆を与えてくれるかもしれない。(取材・文:ショーン・キャロル)

text by ショーン・キャロル photo by Getty Images

「サッカーをやめることも考えた」

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【写真:Getty Images】

 日本人選手の海外移籍は、いまや特に珍しいことではない。

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 とはいえ、中田英寿や香川真司、南野拓実らの後に続いて世界トップレベルのリーグで成功を収めようと欧州へ向かう有望若手選手が毎年数多く出てくる一方で、キャリアの終盤を迎えた選手が他国でプレーすべく旅立つケースはさほど多くはない。

 今年2月に長谷川悠が下した決断はまさにそういったものだった。V・ファーレン長崎との契約が満了となった長谷川は、オーストラリアの地域リーグへと移籍することを選んだ。

「30歳を過ぎて、サッカーをどうやって続けていくかとか、いつまで続けるのかも考えるようになった」。セミプロリーグであるイラワラ・プレミアリーグのウーロンゴン・オリンピックに加入した長谷川はそう語る。「サッカーもだけど、自分の人生を豊かにしたいと思って色々ずっと考えた。まずは英語にすごくトライしたかった」

「サッカーのレベルだけじゃなくて、自分をもっともっとサッカー以外も含めて人間として大きくするためにどういうことを選択しようかなと思って。サッカーをやめることも一度は考えたし、サッカーの会社で働くとか、プレーヤーじゃないサッカーのことも考えた。全然違うことも考えたけど、とりあえずは練習に、トライアルに参加してみるという感じで来た」

自分のことを知らない地

 32歳の長谷川がオーストラリアでプレーする可能性を得たのは、モンテディオ山形時代の元チームメートである田代有三からの紹介によるものだった。田代は現役生活の最後をウーロンゴン・ウルブズで過ごし、その後は同クラブでコーチも務めて昨年のナショナル・プレミアリーグ(NPL)優勝に貢献した。

 負傷に苦しみ、主役になりきれない数年間を過ごしていた長谷川にとって、プレーでアピールして新たなインパクトを与えられるチャンスこそが移籍への大きな動機づけとなった。

「自分のことを誰も知らなくて、そこでちゃんとプレーすると評価を受ける。自分の中では楽しかった」と、かつて大宮アルディージャや徳島ヴォルティス、清水エスパルスでもプレーしたストライカーは語る。

「日本にいるとある程度は名前もあって、選手として動いていく中で、自分の本当のプレーが見られているのか分からないでやっているようなところもあった。日本にいると、いつも『待っている』みたいで。チームが来るのを待っているし、監督が試合に使ってくれるのを待っている。そういうところから、初めて自分でチョイスしにいくことができて、『これかな』と。ここでトライして、自分のことをもっとアピールして、サッカー以外も含めて自分のことをもっともっと良くしていきたいなと」

ロックダウンされたオーストラリアの現状

 残念なことに、新型コロナウイルスに阻まれる形で長谷川はまだピッチ上でインパクトを残すことはできていない。2020シーズンは開幕直前にストップを余儀なくされ、コミュニケーションスキルを高めたいという長谷川の目論見も当てが外れてしまった。

「こっちはロックダウンが早かった。今は学校にも通っていない。学校に入ろうと思ったらロックダウンしたから、俺も(日本に)帰ろうかなとも思って。(練習も)もちろんできない。コロナの人(感染者)が出て、その週に全部、スポーツの活動がストップしてしまった」

「オーストラリアでは、スーパーは開いているけど、レストランはテイクアウトのみ。2人組以上で外に出かけてもいけない。集まってもいけない。そしてソーシャルディスタンス。でも、オーストラリアではスポーツをみんな大事にしているからエクササイズはオーケーと」

「エクササイズはOKだけどジムとかはダメで、公園とか。一緒に2人までなら大丈夫。公園に行くとパーソナルトレーナーを連れて一緒にやっている人も多い。俺にはいないけど、走ったりとか、サッカーのトレーニングをしたりしている」

 時には元アルビレックス新潟・栃木SCのMF端山豪と一緒にトレーニングを行うこともある。端山はJリーグのシーズン前にFC町田ゼルビアを離れ、NPLのクラブであるシドニー・オリンピックと契約を交わした。また長谷川は、現地の若い日本人選手への個人指導も行っている。

「試合が無いとサラリーも発生しない。1週間ずつなので」と長谷川は自身やチームメートが受ける影響について語る。誰もがプレー以外に別の仕事を持たねばならない。

「日本人のお母さんたちもいっぱいいて、中学生くらいの子供たちにパーソナルコーチをしている」

「Jリーガーで終わったら…」

 世界的なパンデミックの中で新たな国、新たなサッカースタイルに馴染まなければいけないという困難の中でも。長谷川はあらゆることを自分のペースで進めている。

「コンディションとか、精神的にはやっぱりいつも違うけど、オーストラリアに来る時点でもういつもと違うから」

「あとは自分も、メンタル的なものは、自分がコントロールできないものにはあまりストレスを感じなくなってきたので。メンタルはすごく良いかな。ストレスはないですね」

 もともと落ち着いたタイプの長谷川にとって、新たな環境のリラックスした雰囲気も助けになっているようであり、オーストラリア文化のおおらかな部分も楽しむことができているようだ。

「結構明るくてハッピー。海も多いし、サーフィンもみんなやっているくらいだから、マインドがそういう『自分でどうしようもないことは仕方がない』というスタイル。日本人とは違って、相手が違う考えでも、意見を言うとちゃんと聞いてくれる。すごく良いなと思うし、自分に合います」

 自身の未来についてもオープンに捉えている長谷川だが、キャリアのこの段階での海外移籍が、スパイクを脱ぐ日を迎えた時により多くの可能性を持てることに繋がるのは確かだと考えているようだ。

「オーストラリアはすごく好きで、今は長く住みたいなと思うけど、一番の目的は『自分で選びたい』。サッカーをやめる時も、プレーヤーじゃなくなる時も来る。そうなった時にオーストラリアで仕事をしてみようとか、日本に戻ろうとか、また違う国かもしれないし、そういう時に自分でチョイスできるようなことにトライしたいというか」

「日本で、Jリーガーで終わったらやっぱりそこから日本以外の国には行けないと思う。オーストラリアで英語を学べば色々な国も選択肢が広がる」

 世界中が不確定さで溢れている状況下で、この積極的で柔軟な姿勢が今後数ヶ月や数年の長谷川にとってプラスになることは間違いないだろう。現役引退後のキャリアを見据える日本の選手たちは、こういったアプローチを取る者がもっと増えるべきなのかもしれない。

(取材・文:ショーン・キャロル)

【了】

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