新天地で右サイドバックのレギュラーに
昨シーズンの冨安は、シント=トロイデンで公式戦40試合に出場し、10月には日本代表デビューを果たした。その活躍を追っていたボローニャが昨年7月に完全移籍で獲得。イタリア北部の古豪クラブに、中田英寿以来の日本人プレーヤーが加わった。
シント=トロイデンでは不動のレギュラーとして活躍したものの、守備大国イタリアでセンターバックの定位置を掴むのは容易ではないと思われた。中心的な存在となっているのは35歳のブラジル人DFダニーロで、マッティア・バーニ、ステファノ・デンスビルといったライバルも夏の移籍市場で加わっている。センターバックの層は厚かった。
しかし、新天地デビューは早々に訪れる。リーグ戦の開幕を間近に控えた8月18日、コッパ・イタリア3回戦で先発起用された。ポジションはシント=トロイデンや日本代表で慣れ親しんだセンターバックでも、アビスパ福岡時代に経験があるボランチでもない。右サイドバックだった。
ボローニャが用いるシステムは少し特殊だ。守備時は4-2-3-1で守り、攻撃時は左サイドバックが高い位置を取って右サイドバックの冨安はディフェンスラインに残る。冨安はサイドバックとセンターバックの中間のような役割を担った。
リーグ戦では開幕から7戦連続でフル出場を果たした。実際のプレーを見ると、サイドバックは冨安にとって適任だったかもしれない。元来から足下の技術は高いものを持っており、187cmの体躯を持ちながらもモビリティは高い。屈強なストライカーが数多くいるセリエAではセンターバックとしては心許ないかもしれないが、サイドバックでは攻撃性能が発揮された。
センターバックでも出色の活躍
日本代表でも不動のセンターバックに定着し、9月からはFIFAワールドカップアジア2次予選が始まった。10月10日に行われたモンゴル戦は、日本代表が得点を積み重ね、6-0で後半アディショナルタイムへ突入した。すると、右サイドで相手選手と競り合った際に左太ももを負傷してしまう。復帰までは約1か月半を要することとなった。
復帰戦は11月24日のパルマ戦となった。そこで任されたのはボローニャ加入後初めてプレーするセンターバック。69本のパス成功数に対してミスはわずか1本だった。攻撃の組み立ての部分においては、サイドバックでの経験が活かされた。結果は2-2の引き分けだったが、出色のパフォーマンスだった。
ダニーロとバーニが揃って出場停止となる事態に、21歳の誕生日を迎えたばかりの若者が穴を埋めた。この復帰戦で再び左足を痛めて84分に交代したが、幸い大事には至らず。以降のリーグ戦では全試合に先発している。
12月15日のアタランタ戦では加入後初アシストをマークした。右サイドでパスを受けた冨安は、自身の目前にスペースが空いていると分かるや、ドリブルでボールを運んでクロスを上げる。クロスはPA内で構えるMFアンドレア・ポーリの頭を捉えてゴールネットを揺らした。UEFAチャンピオンズリーグで決勝トーナメントに進出した格上を相手に、貴重な追加点をお膳立てしてチームを勝利に導いた。
アタランタ戦ではダニーロが2枚目のイエローカードで退場となり、冨安は試合終盤にセンターバックでプレーしている。ダニーロが不在となった翌週のレッチェ戦でも引き続きセンターバックを務めた。ディフェンスリーダー不在の中で、冨安はビルドアップの起点としても貢献した。
カテナチオの国で成長する
以前から足下の技術には定評があったが、イタリアでサイドバックとしてプレーすることでさらにレベルアップ。対人守備も成長の跡を見せており、アグレッシブなサッカーを志向するシニシャ・ミハイロビッチ監督の信頼も掴んでいる。
冨安の活躍はスタッツにも表れている。データサイト『WhoScored』によれば、1試合平均のインターセプト数はチーム2位の1.9をマーク。パス成功数はチーム最多の54.5を記録するなど、攻撃の起点になっている。
駆け足で成長している冨安だが、絶対的な安定感はまだない。12月1日のナポリ戦では対峙するイタリア代表FWロレンツォ・インシーニェを相手に積極的な姿勢を貫き、同点ゴールに絡んだ。しかし、8日のミラン戦ではPK献上につながるボールロストをしてしまい、イタリアメディアから辛口な評価を受けている。
21歳の日本代表DFは、成功と失敗を繰り返しながら、カテナチオの国で多くのものを吸収している。忘れてしまいそうになるが、冨安は東京五輪に出場できる世代でもある。10月に怪我をしたように勤続疲労が心配されるが、金メダルを目指すU-23日本代表にとっては、替えの利かない存在であることに異論の余地はない。
(文:編集部)
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