「ヨーロッパに戻って来なくてはいけない」
遅れてやってきた新参者は、不確実な未来を楽しもうとしているようだ。
11月21日にフィテッセのクラブハウスで行われた本田圭佑の加入会見。それは例えば、ACミランに加入した時のような大々的なものでもなければ、仰々しいものでもなかった。小さな映写室のような会見場に集まった報道陣の数は、地元メディアと日本メディア併せて20人ぐらいだろうか。
しかし、オランダリーグ=エールディビジの前半戦も残り1ヶ月となったこんな時期に新加入の会見を開くことが、何より本田らしいと言えるのかもしれない。新加入選手のお披露目となる記者会見は、移籍市場が開いている夏か冬に行われるもの――そんな固定観念は、“金髪のトリックスター”によって、物の見事に吹き飛ばされた。
なぜ、この時期にフィテッセに加入したのか。本田は、来年開催される東京五輪の日本代表に選ばれるためには、どこでプレーすればいいかということを考え、「まずヨーロッパに戻って来なくてはいけない」と思い至った。
「欧州の中でも一番理想とするクラブでプレーしたいと思いながら移籍先を考えていて、あらゆるオファーを検討しながら、オファーのないところでもクラブの出方を待ちながら、ここ(フィテッセ)で練習参加しました。1人でずっと練習しているだけでは、いざ契約した時にスムーズにそのチームに入っていけないと思っていたので、どこかしらで練習参加しなくてはいけないという中で、ここが受け入れてくれた、と」
「ただ公式戦に出ることに意味はない」
しかし、練習参加は実現したが、フィテッセでプレーする、契約するとはまず思っていなかったという。
「ここに来た時に僕は冬まで待つこともひとつ考えていたんですけど、移籍をね。ここでプレーする機会を与えられる、チャンスが来たというところで、スルツキのオファーがここでプレーするきっかけになったというのは紛れもない事実ですよね。トップにある動機というのはもちろんオリンピックなんですけど、彼からオファーを貰えていなかったら、ここではプレーしていなかったかもしれないですね」
かつてCSKAモスクワ時代に共闘した本田の練習参加は、フィテッセの中盤に怪我人が続出して台所事情が苦しかったレオニード・スルツキ監督にとって、渡りに船だったようだ。ロシア人指揮官は、勝手知ったる“教え子”の状態を見極めると、すかさず獲得のオファーを出した。
そしてスルツキ監督の熱意に本田も応える。今年の5月にメルボルン・ビクトリーを退団してからおよそ半年が経ち、そろそろ公式戦に出場しないとマズイ…そういった焦りはなかったという。しかし、東京五輪を見据えれば、現在のエールディビジのレベルは魅力的だったようだ。
「焦りは、そんなになかったですね。今言ったように、冬まで待つ覚悟はあったので。ただ、焦りはないものの、ただ公式戦に出ることには意味はないので。いいレベルの公式戦でプレーするということは魅力的だな、という思いも含めて(フィテッセに加入することを)決断しました」
本田は「もちろん毎試合出場して活躍することは最低条件」と言う。フィテッセと契約しただけでは五輪代表に選出されないことは百も承知。しかし、PSVアイントホーフェン所属の堂安律、FCフローニンゲン所属の板倉滉、PECズヴォレ所属の中山雄太、そしてAZアルクマール所属の菅原由勢と、今月のU-22コロンビア代表戦に召集された東京五輪世代がひしめくエールディビジで「毎試合出場して活躍」できれば…それは自らが来年のオリンピックを戦う日本代表に選ばれるに相応しいサッカー選手であることの“証”になるだろう。
本田はどこまでも「本田圭佑」だった
スルツキ監督は今週末の24日に行われるエールディビジ第14節のスパルタ・ロッテルダム戦で、新加入の背番号33を起用すると明言したという。
しかし、実際に出場となればオランダ再デビューを飾ることになるロッテルダム戦に対するスタンスは、いかにも本田らしい。
“金髪のトリックスター”は、次のように述べた。
「自分で鍛えていたら試合に出られるのかっていうのを証明できるかどうかが、今週末の試合だと思っているので。ある意味こういう形でサッカー選手を続けた選手はたぶん過去にいないんじゃないかなと思っていますし、僕自身それがどう働くのか分かっていないという意味で、わくわくのような多少の不安のような、さあ本田圭佑どうなるんだろうなというのは、試合でね、どうなるんだろうかなっていうのは、ちょっと楽しみにしていますね」
本田はこの6ヶ月間、個人トレーニングを日本やカンボジア、どこでもやっていたという。所属するクラブがない中でも「自分で鍛えていたら」エールディビジの「試合に出られるのか」。浪人中の個人トレーニングは、実戦でどのように作用するのか。今のところ、答えは誰にもわからない。前例は無きに等しい。ならば、不確実な未知の領域を楽しむしかない――。
晩秋のひっそりとした入団会見で、本田は、いかにも大胆不敵で、どこまでも“本田圭佑”だった。
(取材・文:本田千尋)
【了】