「金メダルを取れば日本のヒーローになれる」
トランクのなかに数えきれないほどの荷物を詰め込み、堂安律は広島の地に降り立った。懐かしさ。新鮮さ。責任感。そして、わずかな不安。ワールドカップを目指すフル代表ではなく、来夏に迫る東京五輪に臨むU-22日本代表の一員として帰国した胸中には、さまざまな思いが駆けめぐっていた。
「1年前くらいはフル代表のことで本当に精いっぱいだったし、正直、東京五輪は現実的には考えられなかった。でも、この段階になると込みあげてくるものがあるというか、母国で開催される五輪にはやっぱり特別なものがある。リオデジャネイロ五輪でネイマールが出場した開催国ブラジルが優勝したように、金メダルを取れば僕たちも日本のヒーローになれる。そういうことをみんなで感じていきたい」
2年半前に韓国の地でFIFA・U-20ワールドカップを戦った世代が、東京五輪代表の中心となっている。しかし、東京五輪に臨む男子代表を指揮することが決まった森保一監督のもとで2017年12月に産声をあげ、活動を重ねてきたチームのなかに堂安の名前が刻まれたことはなかった。
フル代表との兼任が決まった森保監督に率いられ、カタールワールドカップを目指して昨年9月に船出した森保ジャパンで、同じ1998年生まれのDF冨安健洋(ボローニャ)とともに主軸を担い続けてきた。東京五輪世代のトップランナーという自覚と責任を背負い、今年1月にカタールで開催されたアジアカップ、9月に幕を開けたカタールワールドカップ・アジア2次予選を戦ってきた。
「フル代表でプレーしているときとは違う感覚」
その間に幾度となく、森保監督と話し合いの場をもってきた。活動スケジュールがフル代表と重複するU-22代表へ、いつ合流するのがベストなのか。弾き出された答えが、東京五輪に臨む代表チームの日本国内におけるお披露目試合となる、U-22コロンビア代表とのキリンチャレンジカップ2019(17日、エディオンスタジアム広島)への参戦だった。
「詳しいことは言えないけど、森保監督も早い段階で僕にそう伝えてくれていた。それが兼任監督のよさだと思っているし、僕自身もやりやすさを感じていた。すごくいいコミュニケーションが取れたなかで、今回はこっち側に参加している。一人のサッカー選手として、与えられた環境のもとで100%のプレーを、それこそフル代表の選手たちに新しい刺激を与えられるようなプレーを見せていきたい」
オランダから12日に帰国し、広島市内のホテルで他のチームメイトたちと顔を合わせた。2年半の歳月を物語るように、韓国でともに戦った盟友はわずか5人しかいなかった。そのうちDF板倉滉(フローニンヘン)とMF久保建英(マジョルカ)とは、6月以降のフル代表でともに戦ってきた。
今夏にベルギーのロイヤル・アントワープへ新天地を求めたMF三好康児とは、オランダ国内で板倉をまじえて食事をともにした写真が、堂安のインスタグラムにアップされている。本当の意味で再会を果たしたのはDF原輝綺(サガン鳥栖)、FW小川航基(水戸ホーリーホック)の2人だけだった。
「僕としては懐かしい感じというか、いままでにはない、フル代表でプレーしているときとは違う感覚を覚えました。そもそも(フル代表では)後輩ができたことがほとんどなかったので、どのように接したらいいかわからない部分もあるけど、特に考えすぎることなく、コミュニケーションを多く取っていきたい。彼らが僕のことをリスペクトしすぎてもよさが出ないと思うし、あまり気になせないように、ただのチームメイトの一人と思ってもらえるような接し方も意識して取り組んでいきたい」
かつてのチームメイトとの再会で得る刺激
2000年生まれのDF瀬古歩夢(セレッソ大阪)、MF菅原由勢(AZアルクマール)、MF鈴木冬一(湘南ベルマーレ)らの後輩だけではない。何かをきっかけとして、わずかな間でも急成長を遂げる世代を象徴するかのような、懐かしい顔ぶれが広島の地で堂安を待っていた。
「追いついたとはまだ思っていないけど、(堂安)律の背中を見てずっとプレーしてきたので。同じ舞台で戦えることはすごく楽しみだし、いい刺激をもらって自分の成長につなげていきたい」
言葉を弾ませていたMF食野亮太郎(ハート・オブ・ミドロシアンFC)は同じ1998年生まれで、なおかつ誕生日もわずか2日違いの、ガンバ大阪のジュニアユースおよびユースの同期生でもある。年代別の日本代表にいっさい無縁だった食野は今季に入り、ガンバ大阪U-23からトップチーム、そしてヨーロッパと一気に階段を駆けあがり、再び同じステージに立つことになった。
招集されているただ一人の大学生で年齢がひとつ上のMF田中駿汰は、ガンバのジュニアユース時代に史上初の国内三冠を達成したときのチームメイトだった。ユースへの昇格はかなわなかったものの、履正社高から大阪体育大学を歩んできた過程で急成長を遂げ、来季からは北海道コンサドーレ札幌へ加入することを内定させている。
「(田中)駿汰くんを見ていると、サッカー選手はどうなるかわからないと思うし、その意味でも本当にリスペクトしている。駿汰くんがいまここにいることにも、新しい刺激をもらっています」
コロンビア戦に来た理由
広島入りへ向けて胸中に抱いていた懐かしさや新鮮さ、そして56年ぶりの自国開催の五輪へ膨らませている責任感の意味は理解できた。ならば、わずかな不安とは何を意味しているのか。答えを探っていくと、フル代表とU-22代表のシステムの違いに行き着く。
昨年9月の船出以来、フル代表は[4-2-3-1]を基本システムにすえて、堂安は「3」の右を主戦場としてきた。対照的にU-22代表は一貫して[3-4-2-1]システムで国際親善試合や公式戦を戦い、板倉や久保も[3-4-2-1]での戦いを何度も経験している。
「その点は不安というか、練習の段階から見ていきたいという思いは僕のなかにもあった。監督がどのような動きを求めているのかを僕自身が確認しなければいけないし、それが今回のコロンビア戦に来た理由のひとつでもある。ただ、得点に絡んでいく動きを求められることはPSVでも、フル代表でも、そしてここでも変わらない。そのなかでサイド(のウイングバック)で張るのか、シャドーになるのかがわからないので、そこは見極めていきたい」
異なるシステムで求められる役割や動き、周囲とのコンビネーションを肌で感じるためにも、14日に広島市内で行われた、サンフレッチェ広島との練習試合のピッチに立ちたかったはずだ。しかし、35分×2本で行われたピッチに、招集された22人のなかでただ一人、堂安は立たなかった。
敵地ビシュケクで、キルギス代表とのカタールワールドカップ・アジア2次予選の指揮を執った森保監督に代わり、11日の合宿初日からU-22代表を指導してきた横内昭展コーチが理由を明かす。
「選手のコンディションにかなりばらつきがあるなかで、律はちょっとゲームで使うまでのコンディションが戻り切れていない、という判断で出場は見合わせました」
五輪世代をけん引していく自負
今夏にフローニンゲンから移った新天地PSVで、帰国する直前まで公式戦で10試合続けて先発出場を勝ち取ってきた。アヤックスに次ぐ21回の優勝回数を誇るオランダの名門チームであるがゆえに、ピッチの内外で直面してきたさまざまなプレッシャーが疲労と化して、ちょうど頭をもたげてくる時期なのだろうか。しかし、いっさいの言い訳ができないことは、堂安自身が誰よりも理解している。
「(東京五輪まで)8ヶ月あまりしかないと取るのか、まだ8ヶ月以上もあると取るのか。いろいろな考え方があるなかで、それでも選手個々が成長していかないといけない。僕自身は本気で優勝を狙っているし、その気持ちは常に伝えていかなきゃいけない。そういう取り組みから変えていきたい」
合流初日の練習後にこんな抱負を語っていた堂安は、サンフレッチェ戦から一夜明けた15日の全体練習後に、中馬健太郎フィジカルコーチとマンツーマンで、スプリントからフィニッシュまで持ち込む別メニューで汗を流した。身体へ懸命に負荷をかけ、コンディションをあげようと努める必死な姿からは、東京五輪世代をけん引していく、という自負が伝わってくる。
「自分がフル代表を経験しているから引っ張りたい、という感覚ではない。海外でプレーしているから引っ張りたい、という思いもない。そういうことに関係なく、22歳以下の選手の一人としてチームを引っ張っていきたい。経験は確かにアドバンテージになるし、思ったところはしっかりと伝えていきたいけど、たとえ違う立場でプレーしていたとしてもその思いは変わらない」
15日にはコロンビア戦へ向けた背番号が発表され、堂安には韓国でFIFA・U-20ワールドカップを戦い、3ゴールをあげて日本をベスト16へ導いたときと同じ「7番」が託された。原点に立ち返り、新たなスタートを切る意味でもこれ以上はない相棒に背中を後押しされながら、U-22代表としてのデビュー戦に臨む。
(取材・文:藤江直人)
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