アンチェロッティの安定感
ジョゼ・モウリーニョ監督の退任後、新監督に迎えられたのはカルロ・アンチェロッティ。嵐のようなモウリーニョ期を過ぎると、安心と安定の人物が求められたわけだ。
アンチェロッティならフロントと対立することもなければ、選手との間に軋轢が生まれる心配もない。ユベントス、ACミラン、チェルシー、パリ・サンジェルマンとビッグクラブを率いてプレッシャーには慣れており、癖の強いオーナーの下で無難に働いてきた実績もある。どこにも波風を立てない、任せて安心という点でこれ以上の監督もないだろう。
アンチェロッティ監督はミランでアンドレア・ピルロを中盤の底で起用する新戦術で成功しているが、アンチェロッティのオリジナルというわけではなく、すでにピルロはミラン以前のチームでその役割を果たしていた。アンチェロッティは斬新な戦術を考案するイノベーターではなく、持ち駒を最大限生かすべくチームをチューニングするタイプなのだ。
レアル・マドリーが上手くいっているとき、監督は不思議なぐらい目立たない。
最初の黄金時代はアルフレード・ディ・ステファノが加入した1953年からで、チャンピオンズカップ5連覇を成し遂げている。では、その黄金時代の監督が誰だったかというとあまり知られていない。ホセ・ビジャロンガ、ルイス・カルニグリア、ミゲル・ムニョスは当時の名監督ではあったが、戦術的に革新を起こしたわけではなく、レアルの印象はディ・ステファノ、フェレンツ・プスカシュ、フランシスコ・ヘントといったスター選手たちであって監督ではなかった。
70~80年代にはミリヤン・ミリヤニッチ、ディ・ステファノ、ヴヤディン・ボシュコフなど有名監督も指揮を執っているが、やはりいずれも調整型。ルイス・モウロニーは4回も監督をやっているのに、レアルのファンでもたぶん記憶に残っていないのではないか。
ライバルのバルセロナは、レアルに比べると個性的な監督の下で成功している。エレニオ・エレラ、リヌス・ミケルス、ヨハン・クライフ、ルイ・ファン・ハール、ペップ・グァルディオラはいずれも戦術家としてチームに自らの刻印を押すタイプである。
レアルとバルサは非常によく似たチームなのだが、レアルは戦術的なイノベーションを起こしたことがなく圧倒的な戦力で勝ち続けていて、従って強いときほど監督の影は薄い。ビセンテ・デル・ボスケはその典型だったが、アンチェロッティもこのタイプといっていいだろう。
「BBC」結成とディ・マリアの放出
2013/14シーズン、アンチェロッティ監督の就任とともに大型補強があった。トッテナムからガレス・ベイルを当時最高額の移籍金で獲得している。
アンチェロッティ監督のチームはだいたいスタートダッシュが利かない。戦力を見極めてから調整していくので、シーズンが進むにつれてバランスがとれてきて勝ち出すのだが、最初は鈍い。有無を言わさず自分の戦術を押しつけることはしないので、どうしても時間はかかってしまう。ベイルを獲得した以上、使わないわけにはいかない。ベイル、カリム・ベンゼマ、クリスティアーノ・ロナウドの3トップは「BBC」と呼ばれたが、3人を使ったうえでどうバランスをとるかに苦慮していた。
このシーズン、リーグは逃したが、コパ・デル・レイとCLで優勝を果たしている。とくにCL優勝は記念すべき10回目(デシマ)だった。アンヘル・ディ・マリアを潤滑剤として機能させる采配が奏功している。このあたりは調整型監督の真骨頂だった。
ところが、アンチェロッティが「彼だけは出すな」と言い置いて入ったオフに、ディ・マリアはあっさり放出されてしまう。代わりにブラジルワールドカップで活躍したハメス・ロドリゲス、トニ・クロース、ケイラー・ナバスが加入。ハメスには10番が与えられた。
2014/15はリーグ2位、CLベスト4、UEFAスーパーカップとクラブワールドカップを獲ったので無冠ではないが、アンチェロッティ監督は解任されてしまう。スター揃いのチームでカギを握るのはバランサーである。クロード・マケレレを放出して銀河系が崩壊したのと同じ過ちを再び起こしたわけだ。
成功した監督の系譜を継いだジダン
2015/16、ラファエル・ベニテスが新監督に就任した。リバプールで成功したベニテスは手堅い戦い方をする指揮官で、アタッカーばかりが並ぶ戦力のバランスをどうとるかに腐心していたが、第12節のエル・クラシコではヤケクソのようにアタッカーを全部並べて大敗し、解任された。
後任はカスティージャで修行中だったジネディーヌ・ジダン。アンチェロッティ監督のときにコーチとして働いていたが、監督としてはレアルの下部クラブであるカスティージャしか経験がない。選手としてはスーパースターだったが、難局を任せるには監督経験があまりに不足しており不安視されていた。だが、ジダン新監督は短期間でチームを掌握し、CL11回目の優勝をもたらしている。
デル・ボスケの下でプレーし、アンチェロッティのアシスタントを務めたジダンは、レアル・マドリーという特殊なチームの生理を理解していた。基本はスターたちを気持ち良くプレーさせること。ジダン監督は前に出すぎることなく、スターを尊重して自由にプレーさせていた。
ただ、節目では普段は守備を免除されているロナウドにもポジションを守って守備に奔走させることもやっている。常にそうさせようとしたらスターとは上手くやれないが、ここという試合ではなりふり構わず勝利をもぎ取りに行く。その手綱さばきは元スーパースターならではかもしれない。
選手としても監督としても、ジダンは静かで思慮深く、控えめだが、ときに感情を爆発させたときは収拾がつかないことで知られている。2006年ワールドカップ決勝で頭突きとともに優勝を投げ捨てた行為はあまりにも有名だ。デル・ボスケやアンチェロッティを失望させてはいけないように、ジダンを怒らせてはいけない。そうなったときはチームが終わることを選手たちはわかっていたと思う。
アトレティコ・マドリーとの決勝では、堅守速攻のアトレティコにボールを持たせて戸惑わせた。このときの力関係はアトレティコが有利だったが、ジダン監督は奇策をぶつけて力の差を相殺している。自分たちの長所も出ないが相手の長所も出させない。打ち消し合えば少しレアルに優位性が残る。この図々しさ、太々しさはレアルの伝統であり、バルセロナには見られない特徴だろう。その名があまりにも有名なので、ジダンはスター監督として報道されるが、実体はレアルで成功した監督の系譜を継いでいた。
(文:西部謙司)
【了】