勝っているのに影が薄いカルデロン会長時代
2006年2月にフロレンティーノ・ペレス会長が辞任した。2シーズン連続の無冠が濃厚になった時点で退いている。レアル・マドリーは無冠なら監督の更迭が避けられないクラブだが、2シーズン無冠になると会長のクビも飛ぶわけだ。
ペレスの側近だったフェルナンド・マルティン・アルバレスが会長になるが2カ月後には辞任、シーズン終了後の会長選挙でラモン・カルデロンが新会長に就任した。このカルデロン会長時代の成績は悪くない。悪くないどころか、2006/07はリーグ優勝、07/08も連覇。最後の08/09こそリーグ2位だったがスーペル・コパは獲っているので無冠ではない。
しかし、ペレス会長時代と比べるとプレーぶりに華がなかった。銀河系時代の残り香であるデイビッド・ベッカム(07年夏に移籍)、ロビーニョはプレーしていて、ラウール・ゴンザレスも健在だったが、この間に補強したのはファビオ・カンナバーロ、エメルソン、ママドゥ・ディアラ、マルセロ、ペペといった守備の選手が多く、アタッカーもヴェスレイ・スナイデル、アリエン・ロッベン、ゴンサロ・イグアインといった面々はいずれも好選手だが、長くクラブの顔になるようなスーパースターではなかった。
3シーズンでリーグ優勝2回、2位1回なので戦績は申し分ないのだが、カルデロン会長時代はなぜか印象が薄い。監督もファビオ・カペッロ、ベルント・シュスター、ファンデ・ラモスと、ほぼ毎シーズン代わっている。
2009年1月にカルデロン会長は辞任した。もちろん成績不振ではなく、選挙での不正投票疑惑が総会で持ち上がったからだ。事態収拾のためにカルデロンは辞任、09年に行われるはずの会長選挙では出馬条件を満たしている候補がペレスしかおらず、無投票でペレス会長が返り咲くことになる。
カペッロを利用したレアル
カルデロン会長が就任した06/07シーズンは、カペッロ監督を招聘している。
カペッロがレアルで指揮を執るのは二度目だった。最初は96/97シーズンで、このときは優勝しているにもかかわらず退任。ロナウドのいたバルセロナとのデッドヒートを制しての優勝だったのだが、サッカーが「つまらない」という理由で批判もされていた。ちょうど古巣のACミランの監督が空席になったこともあり、双方合意でレアルを去っていた。“優勝請負人”は二度目のレアルでも4シーズンぶりの優勝を成し遂げる。
ところが、二度目も次のシーズンは指揮を執っていない。解任理由は前回と同じで簡単にいえば「つまらない」だった。
カペッロは「もうレアルの監督はやらない」と懲り懲りの様子なのだが、やる前からこうなるとわからなかったのだろうか。そもそも雇う側のレアルにしても、カペッロ監督に面白いサッカーを期待していたとは思えない。観客を喜ばせるプレーなど、全く関心のない監督であり、勝利がすべてという人である。勝つためにすべてを計画するだけであって、その結果がつまらないかどうかは知ったことではないのだ。
カペッロがそういう監督なのはサッカー界では誰もが知っている。レアルが知らなかったわけがない。つまり、つまらなくなるのを承知で招聘した。何が何でもタイトルを獲りたかったからに違いない。そして希望どおりタイトルを獲ったが、予想どおりつまらなかったので解任したということなのだろう。カペッロは利用されたわけだ。
アバウトな「レアルらしさ」
規律に厳しいカペッロ監督の下、緩みきったロッカールームの雰囲気は一掃された。GKイケル・カシージャス、セルヒオ・ラモスとカンナバーロのセンターバックコンビ。その前にはエメルソン、ディアラのフィジカルな2ボランチ。カペッロ監督らしい堅固な守備を敷いている。当初は信用していなかったベッカムも終盤には起用され、中央から右サイドへポジションを移して活躍した。ルート・ファンニステルローイとラウールの2トップも実質本位のカペッロらしい人選といえる。
ぎりぎりだったが勝つには勝った。しかし、ジダン、フィーゴ、ロナウド、ラウール、ロベルト・カルロスたちによる、めくるめく攻撃サッカーとはあまりにも違いすぎた。レアルのファンが求めるものが銀河系だとすれば、カペッロのサッカーには幻滅しかない。ようやく勝てた、だがそれだけだった。
カペッロの後任に就いたのはベルント・シュスター。80年代を代表するプレーメーカーで、ドイツ人でありながら長くプレーしたのはスペインというキャリアの持ち主である。バルセロナ、レアル・マドリー、アトレティコ・マドリーの3大クラブでプレーし、いずれのクラブでもタイトルを獲った。引退後はドイツ、スペインで監督を務め、ヘタフェを06/07シーズンのコパ・デル・レイ決勝に導いて注目されていた。
シュスター監督のミッションはタイトル獲得とレアルらしいサッカーをすること。すでに中心メンバーだったファンニステルローイ、ガゴ、イグアインにスナイデルとロッベン、ペペ、ガブリエル・エインセが加わり、カルデロン会長になってから補強した選手たちが躍動してリーグ連覇を果たした。レアルらしいサッカーもできていた。
「レアルらしいサッカー」とは?
ところで、レアルらしいサッカーとは何なのか。最高のモデルはアルフレード・ディステファノがいた50年代の第一期黄金時代なのだが、レアルの黄金時代はこのときだけではない。「イェーイェース世代」と呼ばれた60年代は、ラモン・モレーノ・グロッソ、ピリ、アマンシオらが活躍して10年間で8回もリーグ優勝した。優勝できなかったシーズンはアトレティコが優勝していて、実に10年間も首都からトロフィーが動かなかった。
70年代にはギュンター・ネッツァー、パウル・ブライトナーのドイツ人が軸になった。依然として国内では強く、ある意味レアルは50年代からずっと黄金時代なのだが、80年代にはエミリオ・ブトラゲーニョを中心とする「キンタ・デル・ブイトレ(編注:5人のカスティージャCF出身選手が活躍した当時の呼称)」の時代にリーグ5連覇を達成している。
ただ、それぞれの時期でカラーが微妙に違うのがレアルらしい。共通するのはスターの競演による圧倒的な攻撃力だが、シュスターもプレーしたキンタ・デル・ブイトレの時代はブトラゲーニョ、ウーゴ・サンチェスの2トップによる破壊的なカウンターアタックが看板だった。
ドリームチーム以降のバルセロナのようなパスサッカーという一貫したスタイルがあるわけではなく、集めたスターを生かして勝つというアバウトなイメージが守られていればいい。レアルらしさとはマドリディズモであり、プレースタイルというよりも精神論に近い。とにかく勝つ、美しく勝てればいいが、そうでなくても勝つ。そのためにはスターといえでも汗を流してチームのために尽くす。
ビセンテ・デルボスケ監督が退任するまでのロス・ガラクティコスはそうだったが、その後の歪みをカペッロが矯正してまず勝ち、シュスターでスターの躍動と美を復活させた。銀河系ほど豪華ではないが、華はあり、レアルはあるべき姿を取り戻していた。
(文:西部謙司)
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