“エル・ニーニョ”は最後まで走り続けた
フェルナンド・トーレスとアンドレス・イニエスタがキャプテンマークを巻いて、試合前のコイントスをしている。その彼らの姿を見て、なんとも不思議な気分になった。ここはどこなんだろう? 本当にJリーグなのか? と、ちょっとした夢を見ているようだった。
少し前までテレビの中でしか見られない、手の届かないところにいたスーパースターが当たり前のように日本にいて、Jリーグでプロフットボール選手としてのキャリアを終えようとしている。にわかには信じられないことが、目の前で起こっていた。
トーレスはまさに自分の「アイドル」と表現するにふさわしい選手だった。プレミアリーグの試合を見始めた十数年前、リバプールのエースとして、爆発的なスピードを武器にゴールを量産する彼の姿に憧れた。その後、まさか日本でプレーすることになるなんて想像もしていなかった。
自宅の壁には彼のポスターも貼っていた。EURO2008決勝でのゴールや2010年の南アフリカワールドカップ制覇も、鮮明に思い出すことができる。そんな選手の引退試合が日本であるなら、見逃すわけにはいかない。そう思った同業者は多くいたようで、鳥栖のスタジアムには有給休暇を取得してまで東京から駆けつけた顔なじみの記者やフォトグラファーが複数いた。
試合の結果は残酷だった。容赦のないヴィッセル神戸に、サガン鳥栖は1-6の大敗を喫してしまう。鳥栖の金明輝監督も「申し訳ない」と、トーレスを勝って送り出せなかったことを謝罪した。
だが、最後までピッチ上のトーレスは、かつて自分が憧れた姿そのものだった。「自分はいい時も悪い時も常に諦めずにやっていく、実際そういうやり方しか知らないんだ。だから常にそういう姿勢で、1日、1日、必ず良くなるように続けて、努力を惜しまない姿勢は何も変わらずに最後までやり抜けたと思う」という本人の言葉通りのプレーを、90分間貫いた。
序盤から鳥栖の先頭に立って相手ディフェンスラインに全力でプレッシャーをかける。点差が開いて勝利が遠のいても、貪欲にゴールに向かってシュートを放つ。足をつりそうになってもチームのために走って、相手と競り合い、パスをさばき、どうにかゴールをこじ開けようと奮闘した。
若い頃のようなゴール前での迫力や爆発的なスピードはなくなったかもしれないが、常に周りの模範となるチームプレーヤーとしてのトーレスは、何も変わらずピッチの上で戦っていた。
イニエスタが綴ったトーレスへの思い
トーレスといえば、思い出す試合がある。2008/09シーズンの後半戦、リバプールが本拠地アンフィールドでアーセナルを迎え撃った。4-4の大乱戦となった中で、アーセナルのアンドレイ・アルシャビンが4ゴールを奪った大活躍の方が注目されがちだが、トーレスも重要な2つのゴールを決めている。
当時はもちろんDAZNなどなく、NHK BS1でプレミアリーグの中継が毎週末深夜の楽しみだった。その頃の放送を録画したDVDを自宅のタンスから引っ張り出してきて、久しぶりに見てみると、今と変わらない極上のチームプレーヤーとしてのトーレスが、アンフィールドにいた。
開始3分で味方からのロングボールに競り合い、そのこぼれ球を自ら拾って仕掛けると、一瞬のスピードでコロ・トゥーレを抜き去ってシュートを放つ。0-1で迎えた後半開始早々の49分には、ディルク・カイトがあげたクロスにヘディングで合わせて同点ゴールをねじ込んだ。
2-3となった72分には、アルベルト・リエラからの低い弾道のクロスをペナルティエリア内でゴールに背を向けて受けると、トーレスは反転しながらワンフェイント入れて右足を振り抜く。彼らしい一発で、再びリバプールに活力を注入した。
懐かしい25歳の頃のトーレスは、甘いマスクで金髪をなびかせながら快足を飛ばしてゴールに向かう華麗なストライカーに思われるが、やはり模範的な極上のチームプレーヤーだった。ゴール前でボールを待つのではなく、味方のために走って、競り合って、戦って……それこそが彼の哲学なのである。
スーパースターにも関わらず驕ったところが全くなく、誰からも愛されるのは、常にリスペクトを欠かさず、人生をかけてフットボールと真摯に向き合って結果を残してきたからこそだろう。トーレスが引退する前の最後の試合を見届けて涙を流していたイニエスタは、20年来の友人に向けてスペイン紙『エル・ムンド』を通じ、情緒的な公開書簡を送った。
「なんて変な気分なんだろう。そんなことはないと言わないでくれ、フェルナンド。本当に変な感じなんだ。僕は美しくて変わっているということを言いたいんだよ。2人とも、君の現役最後の試合でプレーするためにこの場所にいるんだからね。まだいくつか残っているけど、僕らはこの場所にいるんだ。世界の反対側に。さようならを言うために日本まで連れてきてくれたかのような、まるで気まぐれな彼女のような人生だ。
20年以上前、僕らがまだ子どもだった頃、フットボールが僕たちを結びつけてくれた。そして君は永遠の“エル・ニーニョ”になる。僕たちが離ればなれになることも絶対にない。僕たちは理想郷の夢を見た時に出会った。U-16スペイン代表の頃、イングランドで君が決めてくれたゴールもあったね。君が僕に捧げてくれたジェスチャーを決して忘れはしない。僕は怪我をして家に帰らなければならなかったから、あれをテレビで見たんだ」
「離れていても、常に一緒だった」(イニエスタ)
美しい想い出の数々を振り返るイニエスタは、「離れていても、僕たちは常に一緒だった。そして最後の瞬間まで。シャツやクラブを超えて。僕らは別々の街に住んでいたよね。君がマドリードなら、僕はバルセロナ。でも、僕たちは決して敵にはならなかった。単に違う色のシャツを着ている友だちだったんだ」とも述べる。
我々が想像できる単なる友人同士の関係を超えたものが、イニエスタとトーレスの間にはある。少年時代から多くの時間と経験を共有し、互いをリスペクトし、切磋琢磨してきたからこそ理解できる“エル・ニーニョ”の根っこにあるフットボーラーとしての本質についても書簡の中で言及されていた。
「君がアトレティコ・マドリーという家に戻ってくる時、僕は他のみんなと同じように興奮した。なぜならフットボールというのは、スポーツにおける成功や失敗を超えたもので、人生を理解する方法だから。フェルナンド、君はこのスポーツを尊敬していたよね。僕たちのスポーツだ。
君が決めてきた数々のゴールや、僕が失ったもの、あるいは君が素晴らしいキャリアの中で勝ち取ってきたタイトルについては話さない。僕が話すのはフットボールやチームメイト、対戦相手、そしてもちろんボールをリスペクトしている君の行動についてだ。
僕らはワールドカップで優勝するまでにも、名前も知らないようなフィールド、スポットライトやカメラから離れた場所でも、何千もの経験を共有してきた。(中略)君との友情以上に偉大なものなんて存在しない。それこそが真実だ」
ピッチ上での感動的な引退セレモニーを終えたトーレスは、しばらくして記者会見場に現れて「日本のメディアの皆さんに感謝の気持ちを伝えたいと思う。自分が来ることによってJリーグを一歩前に進めることができた、そういった目標を少し果たせたと思う。Jリーグでの時間は僕にとって重要だった。今後もJリーグの力になるために貢献できたらと思っている」と語り、「可能な限り、どんな質問にも答える」と30分近くメディアからの質問に答えた。
「目標は大きくて、困難であるほどいい」(トーレス)
「プロフットボール選手として18年過ごして、本当に恵まれた人間だと思う。子どもの頃にフットボールを始めて、本当に楽しみながらプレーし続けてきて、好きなことで仕事ができて、本当に恵まれた人生だと思う。そしてともにプレーした仲間たち、対戦相手の選手たちも常にハイレベルな中でプレーできて、何よりも自分自身は常に諦めず物事に取り組んできて、そういったものは自分にとっての自信になったし、幸せなことだったと思う」
表情は晴れやかだった。現役引退を発表してからも、コンディションが上がるにつれてパフォーマンスのレベルも上げてきていたし、見ている側からすれば「まだまだ活躍できる」という印象もあった。とはいえ常にトップレベルのパフォーマンスを維持するために努力してきた真のプロフェッショナルの彼にとって、自分の今が納得できるものではなかったのかもしれない。
それでも現役としての自分に後悔は「全くない」と言い切る。
「キャリアで到達した高みを思い出し、たくさんのチームや代表でプレーでき、数々のトロフィーを獲得できた恵まれたフットボール人生を振り返ることができた。そしてビジャやイニエスタといる時には、同じように感動してほとんど泣いていた。いくつかの場面で涙をこらえるのが難しいこともあった。
でも、今僕は悲しくない。幸せを感じている。自分がやってきたこと全てを誇りに思う。もしかしたら数日後に『終わってしまったんだ。僕のフットボールとの全てが終わる時なんだ』と気づくかもしれない。でも、僕はとてもいい気分だし、幸せだ」
これから始まるトーレスの引退後の人生は、どんなものになるだろうか。もちろん苦しいこともたくさんあっただろうが、多くのを勝ち取って、ずっと世界中から憧れられる存在として現役生活を終えることになった。これからはトーレスの背中を見て育ってきた未来を担う世代に、バトンを繋いでいくことが彼のミッションだ。
「子どもたちにとって何よりも重要なのは、夢を持つこと、目標を持つことだと思う。その目標が大きくて、困難であれば困難であるほどいい。そして何かがプレゼントされるわけではなく、自分たちでしっかりと努力して、謙虚に物事に取り組むことが重要だ。そうやって自分もやってきたし、皆さんにもそういう気持ちでやっていくべきだと伝えたい。
もちろんスポーツの世界でもそうだが、目標に向かっていく人たちの周りには、間違いなく『それは無理だ』とか『難しい』と言ってくる人間が必ず現れる。そういう人たちは遠ざけるべきだ。必ずポジティブな仲間たち、助けてくれる人たちを周りに置いて、物事に取り組んでいったらいいと思う」
選手としてのフェルナンド・トーレスは、究極のチームプレーヤーであり、人を惹きつける魅力を持った一流のリーダーであり、常にトップレベルを追い求める最高のコンペティターだった。だからこそ彼には世界中からリスペクトを集め、この上ない愛情が注がれた。
クラブではチャンピオンズリーグやヨーロッパリーグを勝ち取り、スペイン代表でEURO制覇やワールドカップ優勝も経験した。選手としての向上を追求し、大きな目標を掲げていたからこそ到達できた高みの景色はどんなものだったのだろうか。まだ獲得していないタイトルがほとんどないのではないかと思うほど、栄光に包まれたプロキャリアだった。
トーレスのピッチ上でのプレーがもう見られないと思うと残念でならない。だが、次に何にチャレンジするかも楽しみで仕方ない。永遠の“エル・ニーニョ”の第2の人生に幸多からんことを。
(取材・文:舩木渉)
【了】