タイではスターでも、日本では無名
ムアントン、ブリーラムとタイの強豪クラブで活躍し、2013年には年間最優秀選手にも選出されていたティーラトンだが、日本ではほとんど無名の存在で2018年にヴィッセル神戸に移籍。
「タイでの名声は全く意味がなかった。認めてもらうためにプライドを捨ててリセットする必要があった」(ティーラトン)
自国ではスーパースターでも、他国へ行けばそんなものは全く役に立たないというのはティーラトンに限った話ではない。中田英寿がセリエAのペルージャへ移籍した当初はそんなものだった。名古屋グランパスを率いたアーセン・ヴェンゲル監督がアーセナルの監督に就任したときの英国内の反応も「ヴェンゲルって、誰?」だったものだ。
全然知らないというわけではない。中田は1998年ワールドカップに出場していたし、ヴェンゲルはASモナコを率いてカップウィナーズのファイナルまで行った気鋭の監督だった。ただ、それでも一般的には「誰?」という感じではあったわけだ。ティーラトンに関しては、コアなサッカーファンでさえ「誰?」であったに違いない。
タイのサッカー選手といえば、現在はチャナティップ(北海道コンサドーレ札幌)だが、一昔前ならピヤポン・ピウオンだろう。1984年のロス五輪予選の初戦で日本代表を相手にハットトリックを決めたストライカーだ。5-2というショッキングなスコアと、手の付けられない躍動感。たった1試合で、日本サッカー界にとってピヤポンは忘れられない名前となった。ラッキー金星(韓国)でも活躍したタイのスーパースターは後に空軍少佐になっている。
ピヤポンの次は“ジーコ”ことキャティサック・セーナームアンが大スターだったが、日本にお馴染みのタイ選手といえばヴィタヤ・ラオハクルだろう。年代的にはピヤポンより少し前の選手で、ブンデスリーガのヘルタ・ベルリンでプレーしたが、ヤンマー(セレッソ大阪の前身)、松下電器(ガンバ大阪の前身)の選手としても知られている。G大阪では長くコーチも務めた。
いずれもタイのスーパースターだが、日本では「誰?」の部類。グローバル化といっても、自国内のブランドが外国では全く通用しないという例はいくらでもある。洋の東西も問わない。素の状態で価値をはかられるなら「プライド」は邪魔なだけだ。
神戸と横浜FMで異なるスタイル
「マリノスのプレースタイルは俊敏性が必要で、毎試合、試されているような気がする」(ティーラトン)
神戸で実績を積み、2019年に横浜F・マリノスへ移籍。そこでは新しいサッカーへの適応という新たな課題が待っていた。
「このスタイルは苦手でした。合流したときにケガをしていたこともありますが、神戸とは違っていてやりにくかった。日々のトレーニングを一生懸命やって、5月から試合に出られるようになってからは、連係やタイミングをつかめてきた。今でも難しいけれども、プレーして楽しいスタイルだと思う」(ティーラトン)
左サイドバックとして、神戸での主戦場はタッチライン際だった。ところが、横浜FMではいわゆる「偽サイドバック」として中へ入り、そこから縦に敵陣へ入っていくプレーも要求される。29歳、これまで経験していないプレースタイルに適応するのは簡単ではなかっただろう。
しかし、それまで積み上げてきた自分のスタイルと違っていても、新たな戦術に適応するための努力を重ねた。そして適応すると、持ち前のスピード、組み立てのセンス、左足の精度を発揮してレギュラーポジションをつかんだ。
異なる戦術へ適応するには
新しい環境、とくに外国のチームでプレーするとき、しかも自国リーグよりもステータスが上の場合、適応力は重要なカギになる。タイのスターが日本では何ほどの者でもないように、日本のスターもヨーロッパや南米へ行けば大した価値はない。
本来、スポーツの世界では、昨日までの名声は何の役に立たないもので、今日の実力がすべてである。格下の国から来た選手には偏見がつきまとうので、それを跳ね返す自信は持たなければいけないが、一方で郷に入れば郷に従うことも大事。しょせん選手はチームにとってコマにすぎない。まずは使えるコマと思わせなければならない。とはいえ、すでに自国で名声を確立した選手にとって、プライドを捨てて周囲に合わせていくのはそんなに簡単ではないと思う。
Jリーグに来た当初、ティーラトンは「日本でプレーするのは夢だった」と話している。「昔はお世辞にも強いとは言えなかった日本代表も、今ではワールドカップで脅威になった」こと、その裏にあった真摯な姿勢、向上心に感銘を受けていたのだそうだ。
1980年代の日本は、アジアの中でも技術的にはっきり上回れる相手はほとんどなかった。タイ、香港、中国、マレーシアより下で、韓国や中東諸国は及びもつかなかった。昔といっても40年ほど前にすぎない。将来はまた力関係の逆転もありうるわけで、現在の関係性だけで奢りを持つべきではない。忘れていけないのは、ティーラトンが見習ったという「真摯な姿勢」だろう。
(取材・文:西部謙司)
【了】