心温かく、感動に包まれたセレモニー
「サッカーは予定調和を許さない。ときには周囲が最も望んでいなかったような、残酷なシナリオさえ用意して我々に突きつける」
7月13日に行われたJ1リーグ第19節、ベガルタ仙台対鹿島アントラーズ戦。ゴールネットを揺らされ、グラウンドにダイブした姿勢のまま天を仰ぐシュミット・ダニエルの姿を見ながら、ふと、そんなことを思っていた。
すでにご承知の通り、シュミット・ダニエルはベルギーのシント=トロイデンに移籍する。この試合はベガルタ仙台の守護神として臨む最後の一戦となる。できれば勝利、せめて引き分けで試合が終わり、花道を飾ってやりたいと思っていたのはベガルタのファンだけではなかったはずだ。
だがベガルタは鹿島に完敗を喫した。最終スコアは0-4だった。シュミットは持ち前の反応の良さと長いリーチ、そして優れた判断能力を活かして何度か好セーブを見せていたが、弾き返したセカンドボールを押し込まれたり、あるいは鹿島の繰り出すカウンターに守備陣全体として対応できず、4度もゴールを許している。
せめてもの救いは、試合後に行われたセレモニーが非常に心温かく、感動的なものになったことだろう。ベガルタのサポーターは「仙台の誇り」という文字が大きく書かれた小旗をちぎれんばかりに降り続けていた。GKユニフォームを着ている人間もちらほら見かけられたし、スタンドには「仙スタで闘った漢は結果を出すまで帰って来るな!」という横断幕まで掲げられた。
個人的には小野伸二や長友佑都のセレモニーを思い出したが、2歳のときから仙台で育ってきたシュミットが、いかに地元の人に愛されているかがひしひしと伝わってくる。手塩にかけて育てた息子を、涙をこらえて送り出す。きっとベガルタのサポーターは、そんな気分だったに違いない。
ベガルタ仙台側の好意により、試合の数日前に特別に設けられた取材も実に和やかな雰囲気に満ちていた。
とはいえ、個人的にはためらう気持ちがなかったわけではない。ただでさえ多忙を極めていることは百も承知だし、取材対応が増えれば、それだけ先方の負担は大きくなる。
でも僕には、どうしても彼に話を聞かなければならなかった。それは5月に出版された拙著『新GK論』のことがあったからだ。
『新GK論』ではさまざまな方にインタビューをさせていただいたが、取材を実施したタイミングは彼が最も遅かった。W杯ロシア大会終了後、日本代表監督は西野朗氏から森保一氏に交代。これに伴い、新たに代表に呼ばれるようになった注目株の一人こそ、シュミットだったからだ。
また実施したインタビューはいずれも心に残るものばかりだったが、ある意味では最も異彩を放っていたのが、シュミットのインタビューでもあった。彼はすでに日本代表にさえ名を連ねていたにもかかわらず、自分の人生は模索中だと語っている。いささか長めになるが、『新GK論』に収録されたインタビューの一節を紹介しよう。
「まったく別の業界に行きたいという気持ちもすごくある」
――世代的にも実力的にも、シュミット選手には次のW杯カタール大会で、代表の正GKなって欲しいという期待が高まっています。ご自身にとっても、そこが長期的な目標になるでしょうか?
「サッカー選手としてプレーさせてもらっている以上、やはりワールドカップには出たいですね。まずは一人のGKとして日本代表のメンバーに呼ばれて、その上で一番手としてピッチに立てればいいなと思います。
ワールドカップでプレーできれば、一人の選手としては箔もつくし、セカンドキャリアにもすごくプラスになると思いますから」
――ワールドカップに出場するレベルにまでなれば、サッカー界がシュミット選手のことを離してくれないかもしれませんよ。
「僕自身は、しっかり生活ができればそれで構いませんし、人生はサッカーだけではないはずだとも漠然と思っていて。
特に何かを専門的に勉強しているわけではありませんが、(現役を引退したら)、まったく別の業界に行きたいという気持ちもすごくあるんです。もちろん、自分はサッカーを頼りにして生きていくのかなとも思いますけど……。そこはまだわからないですね」
――「サッカーに頼る」というのではなく、自分はこれだけサッカーに愛されているし、ワールドカップ出場も狙えるまでになった。そんなふうに考えれば、もっとポジティブなイメージになるんじゃないですか?(笑)
「たしかに。そうなったら、そう思うようにしますね(笑)」
果たしてシュミットを移籍に踏み切らせたものは何だったのか。それを聞きたくて、さっそくマイクを向けた。
「いつかはその日が来て欲しいという願望はありました」
――やはり今回の移籍は、ご自身にとって相当大きな決断だったのではないでしょうか?
「大きな決断ではあったと思います。でも海外には昔から挑戦したいという思いもあったので、自分のことだけを考えた場合には迷いはありませんでした」
――最終的に決め手になったのは?
「決め手になったというよりも、オファーが来た時点で自分の中では決めていましたね」
――こういう日が来ると、予想していました?
「プロになってからは、いつかは海外に行きたいなとずっと思っていました。海外のサッカーを見るのもすごく好きでしたし、いつかはその舞台に立ちたいと思っていましたから。いつかはその日が来て欲しいという願望はありましたけど、『本当にこういう日が来たんだな』という驚きも多少はありましたね」
――海外に挑戦する際には迷いや戸惑い、一抹の不安を感じられる人も多い。今はどんな心境ですか?
「不安はまったく感じないし、僕の心の中には希望しかないです。仮に向こうに行って試合に出られなくなったとしても、それも最初のうちは当然だと思うんです。むしろ、自分がそこをどうやって乗り越えていくかというのも楽しみですし。そういう意味では希望と野心だけを持っているというのが、今の自分の気持ちだと思います」
(取材・文:田邊雅之)
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