新天地に相模原を選んだ理由
輝きがやや抑え気味に染められた金髪のボランチが、ピッチで躍動した忘れられない一戦。歴史に残る日本代表のワールドカップ初勝利を手繰り寄せたワンダーボーイ、稲本潤一の勇姿は日韓共催大会から17年を迎えようとしているいまも、ファンやサポーターの記憶に鮮明に刻まれている。
横浜国際総合競技場でロシア代表と対峙した2002年6月9日。ともに無得点で迎えた50分に稲本が決めた、ベルギー代表とのグループリーグ初戦に続くゴールが決勝点となり、勢いに乗ったトルシエジャパンは2度目のワールドカップ挑戦にして初の決勝トーナメント進出へ大きく近づいた。
フジテレビ系で生中継された大一番の視聴率は、いまもサッカー中継で歴代最高位にランクされる66.1%をマーク。日本中から喝采を浴びた当時22歳の稲本は大会後に、出場機会を得られなかったプレミアリーグの名門アーセナルからフルアムへ期限付き移籍。その後もヨーロッパの5チームを含めた8チームでプレーし、その間にドイツ、南アフリカの両ワールドカップにも出場した。
そして、戦いの舞台を再び日本へ移して10年目となる今季。9月に不惑を迎えるベテランは、プロの第一歩を踏み出したガンバ大阪から数えて11チーム目のユニフォームに袖を通している。
4年間所属し、その間にJ1へ昇格・定着した北海道コンサドーレ札幌を、契約満了に伴い退団したのが昨年12月2日。その後の動向を注目していたファンが少なくないなかで、稲本が選んだ新天地はJ1でもJ2でもなく、J3を戦って6年目になるSC相模原だった。
J2は札幌時代に2年間経験しているが、J3はもちろん初めてとなる。戸惑いはなかったのか、と問われた稲本は笑顔を浮かべながら首を横に振った。
「一番に声をかけてくれて、正式なやつ(オファー)をくれたからですね。最初に声をかけてくれるのは、やはり一番嬉しいことなので。あまり迷わずに決めました」