情報収集に対する貪欲さ
ヨーロッパと南米のクラブチャンピオンが争うインターコンチネンタルカップは、トヨタカップとして1980年から2004年まで、毎年日本で開催されていた。1985年に優勝したユヴェントスのエースはミッシェル・プラティニだった。スーパースターの一挙手一投足をとらえようと、テレビ局はプラティニ専用のカメラを用意していた。
ユヴェントスがFKを得た。プラティニはFKの名手だったが直接狙うには遠い距離。ゴール前へクロスボールを送った。そのとき、ボールへ向かって助走したプラティニが、途中でちらりと全然関係ない方向を見たのをカメラがとらえていた。
不気味だった。プラティニが助走の途中で一瞬見た方向には何もないはずなのだ。敵も味方もいない、いるとすれば副審ぐらい。なぜそこを見たのかはわからないのだが、そんな無関係な場所をちらりと見たことに底知れない不気味さを感じたのを覚えている。
「ここへ出せば決定的なチャンスを作れる、そういうときでも、ちらりと別の方向を見る。集中しすぎるとそこしか見られなくなりますけど、ちらりと別のものを見ることで『世界』は変わりますよ」
以前、中村憲剛はそう話していた。別の場所を見たところで、何も落ちていないかもしれない。でも、もしかしたらもっといいものが見えるかもしれない。「集中しすぎないことが大事」と言っていた。余裕、というのとも少し違う気がする。癖のようなもので、情報収集にどれだけ貪欲かの表れなのだ。プラティニが、誰もいるはずのない、見ても仕方がないところまで視線を走らせたのも、おそらくいつもの癖だったのだと思う。
「ボールを持った瞬間に潰されちゃう学生生活を送ってきたので(笑)」(中村憲剛)
体が小さかった。そのぶん周囲を見る癖が早くから身についたという。