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あるサッカー選手が“死”に直面した3ヶ月。幸せの絶頂から奈落の底へ…国際世論をも動かした大事件とは

日本ではほとんど報じられることはなかったが、世界中である1人のサッカー選手を救うための運動が活発に行われていた。オーストラリアで政治難民として認定されたバーレーン出身のハキーム・アル・アライビは、およそ3ヶ月にわたってタイで不当に拘束され、まさに“死”に直面していたのである。いったい何があったのか。そして、我々が胸に刻んでおくべきこととは。(取材・文:植松久隆)

text by 植松久隆 photo by Getty Images

ハキーム・アル・アライビを知っているか?

ハキーム・アル・アライビ
ハキーム・アル・アライビは昨年11月からタイ当局に拘束されていた。この写真はタイで出廷する際に撮影されたもの【写真:Getty Images】

 一体どれくらいの日本人が、およそ3ヶ月もの長きに渡って、ハネムーンで訪れたタイで身柄を拘束されたハキーム・アル・アライビという名の元バーレーン代表選手の苦難を知っているだろうか。

 少し目を凝らして世界のフットボールメディアを追っていれば、彼の名前とその身に降りかかる困難が結構な頻度で伝えられてきたことに気づいた人はいるかも知れないが、その数は決して多くないだろう。

 かくいう筆者も、アル・アライビの現住国がオーストラリアでなかったら、この問題をここまで真剣に捉えなかったに違いない。いや、全く気にしていなかったかもしれない。

 今回、フットボール・チャンネル編集部からの提案に応える形で、日本において圧倒的に報道される機会が少なかった「事件」の顛末を詳細に語る機会を持つことができた。そして、その「こんな事件が起きていて、今ここ」的な記事を書き進め、ある関係者のコメントが入り次第、最終推敲の上で脱稿寸前というタイミングの11日の夜、「ブレイキング・ニュース」が飛び込んできた。

「タイで拘束のハキーム・アル・アライビ釈放」

 今回の事件は、発生の経緯から解決まで、フットボールと政治の関りについて国際社会に大きな示唆を与えてきた。このようなスポーツと政治的事象との関係性を「FIFA憲章」の縛りの前にタブーとする見方もあるだろう。一方で、自国には関係のない「対岸の火事」的な対応に終始しがちな日本のフットボール界にも、このような少々堅いトピックを取り上げる媒体、そして、それを伝える筆者がいてもいいのではとの思いで、1人のサッカー選手がが巻き込まれた事件の顛末をお伝えしたい。

 今回の事件で図らずも国際的な注目を集めることになったバーレーン生まれのサッカー選手、ハキーム・アル・ライビ。25歳の彼は、「政治難民」として永住権を保持する現住国の豪州を離れてハネムーンのためタイ訪れ、つい先日までその身柄を当局により拘束されていた。

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