「毎日マラドーナのビデオを見ていた」
レアル・マドリーの優勝で幕を閉じたクラブワールドカップ。だが開催前に最も注目を集めていたのは南米代表リーベル・プレート(アルゼンチン)だっただろう。ただし、御存知の通り必ずしもポジティブな理由からではない。
南米王者を決めるコパ・リベルタドーレスの決勝第2戦、リーベル・プレートのサポーターが移動中の対戦相手ボカ・ジュニオールズのバスへ唐辛子爆弾を投げ入れ、数名の選手が病院に搬送され試合は中止。ボカの主将パブロ・ペレスに至っては、一時視力の60%を失うほどであった。
アルゼンチンサッカーの熱狂は度々伝えられるものの、今回はなぜこれほどの騒ぎになってしまったのか? 現在アルゼンチンリーグ3部アルミランテ・ブラウンに所属し、日本人で唯一プロ選手として活躍している後藤航(ごとうこう)が、自身の体験も踏まえながら、当時のアルゼンチンの空気を、そしてアルゼンチンサッカーの熱狂の源を語ってくれた。
後藤は神奈川県鎌倉市出身。三つ上の兄の影響で、三歳の頃からボールを蹴り始め、小学一年生で地元の腰越FCに入団した。早熟な後藤は、小学生の頃にアルゼンチンサッカーとの邂逅を果たしている。
「一年生の頃から三、四年生と一緒に練習してましたね。三年生の頃、友達についていってマリノスのユースチームのテストを受けに行ったら僕だけ受かって、“受かったんなら行こうかな”って。ポジションはその頃からずっとFWでした。
個人で通ってたスクールのコーチがマラドーナ大好きで、写真やビデオをめっちゃ見せられて。それで僕もマラドーナ大好きになったんです。あの頃は毎日、絶対にマラドーナのビデオを見てましたね。ワールドカップもアルゼンチン代表を追いかけて、トヨタカップでボカが来日したら観に行ってました」