モドリッチ憧れのアイドルが主役となったマクシミールの悲劇
第二次世界大戦後に起こった最も壮絶な紛争は、熾烈を極めていた。
国が情け容赦なく分裂していく中で、ユーゴスラビアのスポーツは大きな成功をつかんでいく。1991年にはクロアチア人プロシネチュキを中心とするレッドスター・ベオグラードが、チャンピオンズカップを制覇。また欧州のバスケットコートではどこもユーゴプラスティカを止めることができず、クロアチア人を中心としたこのチームは1989年から1991年まで連続で欧州王者に輝いた。
1990年のイタリアでは、プラーヴィ(ユーゴスラビア代表の愛称)がワールドカップで見事な成績を残す。彼らに土をつけたのは準優勝に輝いたマラドーナ擁するアルゼンチン代表だけであり、それもベスト8でPK戦の末に迎えた決着だった。
ただし、あのユーゴスラビア代表には、ルカ・モドリッチにとって大切なアイドルであるズヴォニミール・ボバンなど、クロアチアの同時代を彩った選手たちが欠けていた。あの才能あふれるミッドフィルダーは紛争の始まりに、緊張が高まり続けていた中で起こった、ある出来事の主役となっていたのである。
1993年5月13日、スタディオン・マクシミールではディナモ・ザグレブ対レッドスターが開催されていたが、その試合はフットボールの黒い歴史に永遠に刻まれることになった。
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