はじめに
以下の原稿は、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震の発生に伴うJリーグ開催中止、そして4月23日のリーグ再開にいたるまでの経緯を、中西大介Jリーグ事務局長のインタビューをもとに、Jリーグ関係者の方々の証言を加えて構成したものです。(文中敬称略)
【後編はこちらから】 | 【フットボールサミット第3回】掲載
3月11日 東北地方太平洋沖地震発生
2011年3月11日、14時46分。日本三陸沖を震源とするマグニチュード9・0の東北地方太平洋沖地震が発生したとき、Jリーグの中西大介事務局長はJFAハウス9階の事務局にいた。
大東和美チェアマンと立ちながら、打ち合わせをしていた折だった。
事務局員たちに「ヘルメットを被れ!」と叫んだことを覚えている。
経験したことのないような揺れだったので、揺れている最中から「明日の試合……」と思っていた。もし東京が震源でないとすれば、どこかで相当な規模の地震が起きている、ということは容易に想像がついた。
翌日3月12日は、J1・J2リーグ戦ともに第2節を予定していた。つまり、ホーム開幕を迎えるクラブが半分近くあった。毎年のことだがホームの開幕戦には、通常よりも多くの事務局スタッフが派遣される。各スタジアムでの運営状況を観察、把握するためだ。実際に相当数のスタッフが各地に出張予定だった。同時に、アウェイの地に移動しているクラブも多くあった。
各クラブの選手、スタッフの安否を確認することがまず最優先だと思った。テレビをつけた。「これは相当ひどい状況だ」ということは、すぐさま分かった。地震発生直後から5分、10分後のことだ。「全クラブの安否確認を取ってくれ」とスタッフに指示をした。事務局にいたスタッフに連絡担当するクラブを割り当てた。
マッチコミッショナー、中継放送局、toto、Jリーグデータセンター、JFA、審判部、JADAといった運営に関わる諸団体との連絡も同時並行して行われた。しかし電話が通じない。特に震源地近くの東北方面のクラブと、まったく連絡が取れない。回線自体がパンクしており、他の多くのクラブとも連絡を取ることが困難だった。ようやく最初に連絡が取れたのが、セレッソ大阪。16時24分のことだった。
思いがけない事態が起きた。