コロンビアのスタジアムを変えた20歳のハメス
20歳になったばかりのハメス・ロドリゲスがそこにいた。
2011年8月2日、コロンビアの首都ボゴタの夜は吐く息が白く、標高2600メートルの夜気が薄手のジャケットを通り越して体にまとわりついていた。スタジアムの観客席に空席は少なく、女性や子供の姿も目につく。
FIFA U-20ワールドカップのグループリーグ第2戦、コロンビア対マリ戦。この日、スタンドがほぼ満席になっているのはコロンビアが開催地だからだけではない。さかのぼること2ヶ月前、フランスで開催されたトゥーロン国際大会(23歳以下で構成される代表チームが参加する若手の登竜門的な国際大会)でコロンビアはフランスを退けて優勝。その逸材たちで臨む大会なのである。
そこでハメスは最優秀選手賞を受賞し、コロンビアで最も期待されるプレーヤーとして注目を浴びていた。ボゴタの路線バスはサッカー観戦による混雑を懸念して周回ルートを変更していたほどだった――。
コロンビアの地方は10年ほど前まで激しい内戦状態にあった。世界で最も危険な国といわれ、麻薬とゲリラと誘拐が代名詞だった。年間殺人件数は2002年の2万8777件(同年の日本は768件)をピークに下降を続け、この年、2011年は1万6127件。年間誘拐件数の最多は2000年の3572件。現コロンビア代表で本田圭佑とミランで同僚だったクリスティアン・サパタの叔母は誘拐され、プロサッカー選手だったハメスの叔父は射殺されている。
都市部の治安も悪かった。サッカースタジアムも例外ではなく、ときには麻薬取引の穴場としても利用され、中南米のスペイン語圏で「Barra bravo(バラ・ブラボー)」と呼ばれるフリーガンが跋扈(ばっこ)していた。そんなイメージが定着していたせいか、スタジアムへフットボールを見に行くのは、ごく一部のファンに限られていた。にもかかわらずこの日、女性や子どもの姿が目につくのは、あどけない顔立ちで10番を背負うハメスがピッチで躍動しているおかげだろう。