実は元GK。初移籍から4年で市場価値は70倍に
ジェリー・ミナのサッカー選手としてのキャリアはGKとして始まった。同じくGKだった父ホセ・ウリセスと叔父ハイルの影響で幼少期からゴールを守るポジションでプレーしたのは必然だった。
その後、コロンビア第3の都市カリ郊外にあるグアチェネという小さな街で生まれた少年は、父の勧めでフィールドプレーヤーに転向し、18歳でデポルティボ・パストのトップチームに昇格。プロデビューも果たした。代表選手へと上り詰める。
そして2014年にはコロンビア国内の強豪インデペンディエンテ・サンタ・フェに引き抜かれる。初めての移籍の際に支払われた違約金はたったの17万ユーロ(約2200万円)だったとされる。新天地では在籍2年間でコパ・スダメリカーナを含む3つのタイトル獲得に貢献した。
大きな転機となったのは2016年夏のパルメイラス移籍だった。ブラジルの名門クラブはA代表デビューすらしていない若手センターバック獲得に330万ユーロ(約4億2000万円)の移籍金を投じた。選手としての価値は2年半で約20倍にも膨れ上がった。
パルメイラスではすぐに定位置を確保し、移籍初年度でブラジル全国選手権1部優勝を経験する。さらにこの年の6月にはコロンビア代表デビューも果たした。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの成長に目をつけたのが、世界屈指のビッグクラブ、バルセロナだったのだ。
ジェリー・ミナがバルセロナに入団したのは2018年1月のこと。コロンビア代表のロシアワールドカップ出場権獲得に大きく貢献した23歳は、パルメイラスから1200万ユーロ(約15億4000万円)の移籍金でスペインに渡った。これはデポルティボ・パストからインデペンディエンテ・サンタ・フェに移籍した際の額の約70倍である。ちなみにキャリア最大とも言えるステップアップをサポートした代理人は叔父のハイルだった。
コロンビアの田舎町の貧しい家庭で育った青年は、その頃の謙虚さを保ったまま世界最高峰のクラブの一員となった。だが、そこにはキャリアで最も高い壁が待ち構えていた。ジェラール・ピケやサミュエル・ウンティティとの競争は決して簡単ではなく、バルサ加入から半年でリーグ戦わずか5試合の出場にとどまった。