2017年5月24日。誰もが息を呑んだ水原の夜
その瞬間、場の空気が凍りついた。2017年5月24日、韓国で開催されていたFIFA U-20ワールドカップのグループリーグ第2戦、ウルグアイ戦の前半が始まって15分と少し経った頃だった。
U-20日本代表のエースFW小川航基が、ウルグアイのDFマティアス・オリヴェラの足をかわそうとして跳び、着地したままうずくまって動かなくなった。ピッチ上の選手たちはもちろん、スタンドで観戦していた記者たちや観客も、尋常ではないことが起こっているとすぐに察した。
ウルグアイの選手たちもすぐにプレーを切って、主審が左ひざを抑えて動けなくなった小川のもとへ駆け寄る。日本のベンチも騒がしくなる。観客たちもショッキングな光景を固唾を飲んで見守る中、小川は担架で運び出され、久保建英と交代した。
現場にいた記者たちも騒然としていた。いったいどれくらいの離脱が必要な怪我になるのか、U-20ワールドカップ期間中に復帰できる可能性はないのか…様々な見解が飛び交った。だが、筆者には小川の倒れ方に見覚えがあった。
それは忘れもしない3年前の2014年6月1日。ある友人が、シチュエーションは違えど、同じように片足に全体重が乗ってしまう形で着地に失敗して大怪我を負った。診断は左ひざ前十字じん帯断裂に加え、内側側副じん帯損傷、外側半月板損傷を伴うもので、その選手は公式戦復帰までに約10ヶ月かかった。
似たような着地でひざに過剰な負荷がかかってしまった小川も、左ひざ前十字じん帯断裂に匹敵する大怪我で全治までに半年以上はかかるはずだと直感した。その通り、ブレイクの気配を漂わせていた東京五輪世代のエースストライカーに宣告されたのは左ひざ前十字じん帯損傷と外側半月板損傷だった。
小川の離脱はU-20日本代表に大きな影響を及ぼした。チームのエースストライカーにして精神的支柱だった背番号9には、「あいつに任せればなんとかしてくれる」という安心感を与え続けてきた。そんな頼れる柱を失った若きサムライたちは、ウルグアイに為す術なく0-2で敗れた。
シーズン中の復帰が難しくなるような大怪我を負っていても、エースは仲間たちを支えようと、3日後のグループリーグ最終戦までチームに帯同してスタンドから声援を送った。その甲斐もあってか、日本はグループリーグを3位で突破してU-20ワールドカップのベスト16進出を果たした。