育成における“教えすぎない”指導の重要性
今回は育成について話したいと思う。前回、久保建英の話をしたけど、彼のプレーヤーとしてのポテンシャルは間違いない。自分で仕掛けられるし、(バイタルエリアの)どこで自分が余ったらいいか、というところが長けている。ギリギリのところでボールを渡されても、前を向きながら相手をかわせるし、ああいう選手はなかなかいない。バックパスも少なく、マークが来ていても斜め前に叩くとか。仕事人だよね。『隙あらば何かやってやろう』というプライドみたいなものを感じる。
子どもたちを預かる指導者は、そういうのを教えてあげなきゃいけない。『あれやれ』『これやれ』というところから変わっていかないといけない。指導者としてはどうしても、近道というか答えを教えたくなるものなんだ。伝えてあげるのは絶対的にいいことなんだけど、それだけだと教わることばかりが多くなってしまう。
選手自身がサッカーをもっと考えることが大事。自分はどういうプレーをするんだ、何が楽しいんだというのがないと、その子の感性が出てこない。僕はその選手の“サッカー感”が見たいんだよね。それは教えるだけという状況からはちょっと出にくい。教えるのは悪いことじゃないけど、ある程度のところまででいいと思う。あとは自由に、選手が自分で求めていくことをずっとやらせないと。教わることに慣れちゃうと、アイディアが出てこなくなっちゃう。自由度が大事なんだ。
例えば、オーバーヘッドキック。僕は子どもの頃、土のグラウンドで思いきりジャンプして蹴りまくっていた。今の現場でもそういうことがどんどん行われて欲しいんだよね。遊びの中で、あれもできた、これもできたと成功体験が増えると、その子の“サッカー感”が変わってくるよね。
僕は(フランツ・)ベッケンバウアーに憧れていたから、中学、高校と徹底的にアウトサイドキックを使っていた。子どもはそれでいいんだよ。小さい頃からやっていないと、ゲームで必要なことだけをやっていても応用が利かない。
プロになってからもそう。最終ラインで相手のFWが近くにいても、左足のアウトで左サイドバックにパスを出していたからね。ボランチに預けて展開、という流れじゃなくてね。「あれは危ないから辞めろ」って言われたけど、「俺はプロだから大丈夫」と答えたんだ。こっちは楽しんでいるし、そういうプレーができないと面白くないじゃない。確かにアウトサイドのキックって難しいし、リスクもある。脛の上の筋肉が小さくて、しっかり乗っけて蹴らないといけない。「危ないからやめろ」って言われたけど、何試合も続けていたら「すごいよ」と認められたよ(笑)。