「私自身が今まで考え付く限り最悪の悪夢」
お集まりの皆さんこんにちは。このように今日はお越しいただきありがとうございます。今回初めて、4月7日以来私の口からお話しさせていただきたいと思います。ここ日本で3年間仕事をさせていただきましたので、この地でお話しさせていただきたいと思いました。日本という素晴らしい国は私自身初めてでした。そして私共が家族ととともに大好きな日本という国ですが、そこには歴史や伝統、文化、様々な習慣、仕事のやり方があり、それを大いに評価しています。
いろいろなものを敬いながらやる日本という国。私は日本という素晴らしい国には観光客として物見遊山で来たのではなく、日本に何かをもたらせないかという思いで来たのであります。私自身も素晴らしい日本という国をこんな形で去ることになるとは考えたこともありませんでした。
そして私自身が今まで考え付く限り最悪の悪夢だとしても、こんなことを想像したことはありませんでした。日本という素晴らしい国で仕事を終えたいと思っていました。日本人というものが素晴らしいヒーローとして終わって欲しいと思っていました。
4月7日以来、私の人生で一番辛いといってもいい日々を過ごしてきました。そして人間として深く失望しました。サッカーとして考えると、なんて残念なんだろうと考えました。私は日本代表をしっかりワールドカップの予選を通過させました。私がトップとして言い渡されたこと。日本のサッカーには何か欠けたものがあると思いました。
私はハイレベルなサッカーで45年間仕事をしてきて、監督という職業は大変儚いもので、どんな時に何が起こるかわからない。私自身、ちょっと物事を知らなかったのかもしれません。私自身はそんなことを今回はしていません。
日本でやっていたこと、しっかり仕事をして、我がチームが成功するためにやってきた仕事ばかりだったからです。私に対して忠告されたことに対しては大変失望して、私に対するリスペクトがなかったように思いました。
私自身、この3年間で日本代表チームでいろいろな仕事をしてきました。ぜひそれを説明したいと思いました。この3年間はしっかり誇りを持って仕事をしてきたと思います。そういったことを責任者として果たしてきました。
私は初めてJFAに行った時、私のオフィスはどこにあるのですか、と聞きました。それはないと言われました。すぐにお願いしました。私のためにオフィスを用意してくれませんか。私のアシスタントたちにもオフィスをなんとか用意してくださいとお願いしました。
どうやらそれが日本のサッカーの歴史で初めてだったようです。代表監督がコーチ、自分たちに対してオフィスを用意してくれと頼むのが。そうして毎日オフィスに出勤して行ったわけです。それは代表チームをセレクションしていたわけではなく、メディカルチームも毎日JFAにやってきて、そうしたことに皆さん馴染みがなかったみたいです。その後、どうやって仕事をしていくかの組織を作っていきました。
コーチが何をするのか、メディカルスタッフが何をするのか。毎日毎日ミーティングを持ったり、テクニカルスタッフ達と選手たちの試合の視察にも行きました。選手1人ひとりのレポートを作っていく。メディカルスタッフは誰がどう負傷しているかのレポートを上げていきました。毎日いろいろな作業をやってきました。