復活の手応えと与えられた役割とのギャップ
心の奥底にまで突き刺さるものを感じた。はからずも投げかけられた言葉に梅崎司はハッと驚き、次の瞬間、たとえようのない喜びに体を震わせていた。
「もったいない、と言っていただいたんです」
昨年12月中旬。オファーをもらっていた湘南ベルマーレと、都内で交渉の席をもった。毎年足を運ぶオフのヨーロッパ視察から帰国したばかりの曹貴裁監督が、直球をど真ん中に投げ込んできた。
「こういうプレーを求めている、こういうプレーができると思っていると。そして、僕のことを再生させたい、復活させたいと。心と心で話し合えたと思っていますし、自分が抱いていた思いとすごくリンクしたこともあって、移籍する決断に至りました」
浦和レッズで10年目を迎えた昨シーズンは、リーグ戦で10試合、わずか355分間のプレーに終わっていた。2016年8月に左ひざの前十字じん帯を損傷。全治7ヶ月の大けがを追っていたこともあって、公式戦初出場は6月の天皇杯2回戦、対グルージャ盛岡まで待たなければいけなかった。
J1の舞台に戻ってきたのは7月22日。敵地で行われたセレッソ大阪との第22節の83分から、関根貴大(現FCインゴルシュタット04)との交代で左アウトサイドに入った。
ミハイロ・ペトロヴィッチ監督(現北海道コンサドーレ札幌監督)から堀孝史監督に代わっても、後半の途中から投入されるパターンが続いた。先発は3度だけ。10年ぶりにアジアの頂点に立った、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)でも試合を締める役割を担った。
レッズの勝利のために、アウトサイドの控えという役割に徹し続けた。一方で対照的な思いが、時間の経過とともに頭をもたげてきた。シーズンが開幕する直前に30歳になった。サッカーの場合、現役でプレーできる時間は決して長くない。そして、左ひざにもまったく不安を感じていない。
「いまのプレースタイルのままでいいのか、と。チームに埋もれるじゃないけど、レッズというクラブだからこそ、そのなかにいられることへの価値というのはすごくありました。年を取るたびにだんだん自分を押し殺して、チームのために徹することがすごく増えていました。
けど、このままじゃダメだという思いもずっとあったんです。ここ数年、自分のなかで葛藤がありましたし、昨シーズンはそれがさらに強くなって、自分のなかで(ポジション争いで)勝負したいと思うようになっていた。実際、手応えもすごくあったので」