【前編はこちらから】 | 【サッカー批評issue60】掲載
合致するミシャとクラブの思惑
ミシャは独特のサッカースタイルを備える指揮官で、それは彼が広島で実践したサッカーを見れば明らかだった。ただ異次元の世界から舞い降りたようなシチュエーションだった広島時代黎明期に比べ、今回の浦和ではクラブ側、そしてコーチ、選手などの現場側ともに広島の対戦相手として『ミシャ・サッカー』を外郭的に捉えており、そのスタイル習熟はスピーディに進んだ。
またクラブフロントもここ数年とは異なり積極的な補強に動いた。しかも、その選手セレクションはミシャを中心とした現場側の要望を十分に汲んだものだった。まず、かつてミシャの下でプレーしたDF槙野智章をドイツ・ブンデスリーガの1FCケルンからレンタル移籍させる。槙野はケルンで出場機会を得られずにブンデスリーガ2部所属クラブへのレンタル移籍を模索していたが、ミシャ自ら槙野を勧誘して浦和入りを成功させた。
槙野はミシャが思い描くチーム構築に欠かせない重要なパーツで、すでに10年シーズンに広島から完全移籍して浦和の一員となっていたもうひとりの愛弟子・柏木陽介とともに『ミシャ・サッカー』の伝道師的役割を担う選手だった。
そしてもうひとりは浦和レッズサポーターの想いに共鳴する選手、同年シーズン途中にイングランド・チャンピオンシップのレスター・シティに移籍した阿部の再獲得である。浦和の栄光時代を知り、日本代表クラスの実力を有し、かつミシャの要望にも叶う聡明なMFの帰還は浦和再生の鍵となる重大案件だった。
結果的に槙野と阿部のチーム加入は多大なベースアップをもたらした。槙野はスタイル構築を促進し、阿部はキャプテンとしてチームをまとめただけでなく、攻守両面における機能性を抜群に高めた。もしふたりの加入が成されなかったら、浦和がリーグ戦3位に入り13年シーズンのACL出場権を獲得することはできなかっただろう。
また槙野はレンタル移籍で、そのレンタル料は約50万ユーロ(日本円で約5100万円)と推察され、阿部に至っては移籍金0でレスターから呼び戻すことができている。これはクラブが念頭に置く選手補強費削減策のニーズとも合致する。その意味において、山道強化部長以下、浦和強化部が果たした役割、仕事ぶりは多大なものがあった。