「まだ『これで終わり』っていう寂しさみたいなのはあまり感じてません」
12月2日の2017年J1最終節・FC東京対ガンバ大阪戦。石川直宏の現役ラストマッチということで大いに注目されたこの一戦で、同じ時代を走り続けてきた守護神・藤ヶ谷陽介もユニフォームを脱ぐことになっていた。
ガンバの長谷川健太監督は、リードを奪うことができれば、正GK東口順昭に代えて、36歳のベテランGKを送り出すつもりだったが、試合は惜しくもスコアレスドロー。彼が味の素スタジアムのピッチに立つ瞬間は最後まで訪れなかった。
「今日の試合前? 朝起きていつも通りの感じだった。でも試合前のミーティングで(長谷川)監督が『今日フジ最後やから一言話してから行こう』と言ってくれた。そこでホントに最後なんだなと思いましたね。
試合が終わった今はまだ『これで終わり』っていう深い寂しさみたいなのはあまり感じてません。でも来年の始動日に自分がチームに行かないってなった時に寂しさを感じるかもしれませんね」と彼はしみじみと語り、現役ラストマッチの会場を後にした。
藤ヶ谷は81年2月生まれ。学年は石川や阿部勇樹(浦和)より1つ上で、中村憲剛(川崎F)や玉田圭司(名古屋)、市川大祐(清水普及部コーチ)らと同期に当たる。だが、市川大祐が17歳で日本代表入りし、玉田圭司も習志野高校時代からスピードスターとして名を馳せている傍らで、磐田東高校に在籍していた藤ヶ谷は無名の存在だった。それでもプロになりたい思いは強く、コンサドーレ札幌の練習参加からプロ契約へとこぎつけた。
初めて日の丸を背負ったのも札幌時代。2000年アジアユース(イラン)で日本は準優勝し、2001年ワールドユース(アルゼンチン)へと駒を進めたが、藤ヶ谷は2つの大会に参戦。同期の黒河貴矢(新潟アカデミーコーチ)としのぎを削り、正守護神の座を射止めた。
初めての世界大会で日本はオーストラリア、アンゴラに敗れて1次リーグ敗退。「谷間の世代」という不本意な称号を与えられてしまう。しかし、最終戦のチェコ戦では本来のポテンシャルをチーム全体が発揮して3-0で完勝。この時のチェコのGKはペトロ・チェフ(アーセナル)だった。
その事実を藤ヶ谷自身が知っているかどうかは定かではないが、世界舞台での1勝は、彼にとって非常に大きな財産になったのではないか。