クロスバーに弾かれてしまったシュート
パラグアイが3人決め、日本も遠藤保仁(G大阪)、長谷部誠(フランクフルト=当時ヴォルフスブルク)が決めた後、日本の3番目・駒野友一(福岡=当時磐田)がゆっくりとゴール前へ歩み寄った。
6月30日夕刻、南アフリカ・プレトリアのロフタス・ヴァースフェルドスタジアムに集まった大観衆は、大会通じて献身的なプレーを貫いたDFがPKを蹴る瞬間を固唾を呑んで見守っていた。
「すごく集中していた」と駒野は言う。日本代表の岡田武史監督(現FC今治代表)は「PKの順番は勘で決めた」と後に語ったが、彼のキックが誰よりも正確だと認めていたからこそ3番手を託したに違いない。
「オシムジャパンで挑んだ2007年夏のアジアカップ(東南アジア4ヶ国共催)の3位決定戦でも、僕は3番手を任されました。あの時は『えっ、自分?』とすごく驚いたけど、落ち着いて普通に決めることができた。だから南アの時はそれほどびっくりしなかった」と彼自身も少なからず自信を持っていた。
蹴った瞬間「少し上に行ったかな」という感触は残ったものの、シュートは枠を捉えると思ったという。が、次の瞬間、ボールはクロスバーを激しく叩く。非情な現実を前に、駒野は両手で顔を覆うしかなかった……。
日本の敗退が決まった時、駒野は大粒の涙を流し、岡田監督に肩を抱かれた。12歳からの親友・松井大輔(オドラオポーレ=当時グルノーブル)にも慰められても、マッチアップしたパラグアイのネルソン・アエド・バルデス(セル・ポルテーニョ)から「マイフレンド」と励まされても、簡単にショックは癒えなかったという。