消え去っていなかったアルゼンチンの亡霊
昨年の7月、ホルヘ・サンパオリはプレシーズンの2次キャンプを行うため選手たちをバート・シェーンボルン(ドイツ)へと連れて行った。この合宿を訪れた記者の数はわずか3人(うち1人は筆者)であり、その全員にとってアルゼンチン人指揮官はほぼ完全に未知の存在だった。
ウナイ・エメリはパリ・サンジェルマンからの誘いに目がくらみ、プレシーズン開始の数日前に去って行った。セビージャが賭けたのは、欧州では経験がないが野心に満ちた新監督だった。
「セビージャのサンパオリが代表監督になればメッシはアルゼンチン代表に復帰」。キャンプの真っ最中に、そんな見出しの記事を目にすることになった。なんて話だ。アルゼンチン人にとっては最高級の仕事だ。そこでセビージャは、シーズン開幕を間近に控えて仕事が山積みという状況で、彼を出て行かせることはないという姿勢を明確にした。
兼任という形であれ、アルゼンチン代表へ移る形であれ同じことだった。アルゼンチンサッカー協会(AFA)がその合意を破棄させるためには、契約解除条項として設定された600万ユーロを収めなければならない。
モンチ(当時)もサンパオリもドイツの地から、起きたばかりの火事をすぐさま消し止めようとしていた。「彼は全面的にクラブのプロジェクトに参画している」。当時まだセビージャのスポーツディレクターだった男はそう語った。結局噂は噂のまま終わった。
アルゼンチンの亡霊がまたしても周囲を騒がせた最近数週間も、指揮官はその同じ意志を嫌になるほど繰り返し主張していた。だが実際のところ、その亡霊は決して消え去ってはいない。彼の頭の中に存在していたものだ。
サンパオリにとってアルゼンチン代表を率いるのは「名誉」であり「夢」だが、今はセビージャをチャンピオンズリーグ出場に導くことだけを考えている。目標を達成することができたと言うためであり、荷造りを始める前にそのチャンスを逃すことはできなかったと言うためだ。