「歴史を変える」役割を果たした男
「今ですか? 地元で子供たちにサッカーを教えつつ、オーダースーツのお店をやっています。もともと興味があったもので。幸か不幸か結婚もしていないので(笑)、自分がやりたいことをやっている感じですけど。あと、北関東のほうで『Jを目指したい』という県1部のチームから監督の依頼を受けていて、どうしようかなと……」
目の前に座っていたのは、元Jリーガーである。名前は桜井孝司。1977年5月3日生まれで、今年で40になる。現役を退いたのは2001年。現在は故郷の静岡で、サッカースクールを運営しながらスーツの仕立てをしているという。
多くのサッカーファンにとり、桜井の名前はあまり記憶にないと思われる。トップリーグでの出場数はわずか1試合、J2は8試合。途中、アルゼンチンのクラブに1年間貸し出されていたとはいえ、5年間のプロ生活を考えると、いささか寂しい数字であり、ファンの記憶に残りにくいのも致し方ないだろう。
しかし彼はピッチ外のところで、ある意味「歴史を変える」重要な役割を果たしている。時に1998年12月のある日(おそらく12日)。この時、桜井は横浜フリューゲルス所属の3年目であった。
横浜フリューゲルス──。横浜マリノス(当時)との吸収合併によって消滅してから、間もなく20年になろうとしている。当時をリアルタイムで知らない20代のサッカーファンでも、その名はよくご存じのはず。
確かに、親会社の都合によって2つのクラブがなし崩しに合併されるという事態は、今考えても非常にショッキングな出来事である。しかし、フリューゲルスが「伝説」となるには、もうひとつ重要な要素があった。それは「天皇杯優勝」である。