“インヴィンシブルズ”から10年。同じ価値観は通用するのか?
世にいう「インヴィンシブル・シーズン」。ヴェンゲル・アーセナルがあの無敗優勝の快挙を成し遂げた2003/04シーズン、その“前夜”に現アヤックス副監督のデニス・ベルカンプ以下、当時ガナーズの中核を成した異邦の精鋭たちが口をそろえて残した、実に意義深く、示唆に富んだ物言いを知る人は――そう多くはいないはずだ。
要約すれば、それは「イングランド人プレーヤーがいたことがキモだった。彼らがいなければ、無敗優勝どころか、プレミアリーグでレギュラーとしてプレーできていたかどうかも覚束ない」ということになる。
いや、そんなシンボリックな証言を聞くまでもなく、そしてアーセナルだけに限らず、海外から請われてやってきた“新人”たちにとって、イングランドという特殊な“土(ソイル)”のスメル&トリック、例えばロンドンの下町、そこから一歩離れた田園にルーツを持つ土着のメンタリティー、何よりも特殊なそのフットボール観を肌でもって知り、取り込まずして、かの国の一風変わったリーグでやっていけるはずがない。
あの“インヴィンシブルズ”の勇者たちですら、そのかけがえのない恩恵を、今も深く胸に刻み付け、身に染みて感謝しているのだから。
しかし――それから優に10年以上の月日が流れた今、目の前に繰り広げられる現実を突き付けられたとき、同じ価値観がはたして共有され、通用しているのだろうかと考えると、確かに心許ないものがあるだろう。
正確な数字はともかく、例えば昨シーズンの統計データによると、プレミアのファーストチーム所属で実際に公式戦に出場した外国人プレーヤー(UKおよびアイルランド出身者以外)は、その比率が実に7割強に達したという。
7割はあくまで平均値だ。つまり、直感的に最も“イングリッシュ率”が高いと思われるレスター、ボーンマス、ワトフォード辺りを(例えば)5割前後だとすれば、主力ともなれば8割以上が外国人に占められているチームが複数存在していることになる。
何よりも、チェルシー以下、現在ぎりぎり優勝争いを演じる資格を有する「6強」のほぼすべてが、限りなく、ある意味でなりふりかまわず、国際化の波に呑み込まれつつある現実はもはや否定のしようがない。